虚構と現実

人にはそれぞれの考え方があって、物の価値観や常識も異なっているのでしょう。ただし、結果論には最初からと、それまでの経緯があって「…そういう状況になった訳」ですから、結果だけを見て判断をするのは、善悪を決めつけるのは、せっかちだし、無礼だと思います。


例えばの話。私の家族の詳しいことは、私の家族でないと分からない訳です。当然ながら、私は他人様の家族のことは全く分かりません。分からないので、答えようがないのです。ところが、私が家族に対して愚痴をこぼしたとします。すると、その愚痴を聞いた人は「もっともだ…いや、そうじゃないだろ」という意見を初めて述べられる訳です。


芸術家は、そんな問題提起をするような職業だと思います。「身を犠牲にして」とまでは行きませんが、大袈裟ではありませんが、悪者や嫌われ者にされてしまう宿命みたいなものはあり得るでしょうね。それでも、平気な顔をしてやって行かねばならないのです。だから、一般論が当たり前の人は芸術家にはなれないです。


SNSでフランス人の友達のハンスは私のことを「お前はクレージーだ」と書き込みました。でも、ハンスは私のコメディを理解しているので、そう言ったのだと思います。だから、上の結果論のこと。「クレージー」は最大の褒め言葉だと理解出来たのです。しかし、経緯を全然知らない人は、本当に私のことを「クレージー」だとバカにした筈なのでしょう。


相手を非難する前に、気をつけるべきことは「その非難する相手の事情を、自分は一体どれだけ知っているだろう?」と思い出してみることだと思いますよ。先入観だけで決めつけることほど愚かなことはないです。夫婦喧嘩をした夫婦の、片方の意見だけ聞いて腹を立てているようなもの。どうして両方の言い分を聞こうとしないのでしょうか?


笛吹ピエロの創作世界

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