笛吹ピエロ文芸作品全集

私は様々なペンネームで小説や俳句や戯曲やエッセイなどの文芸作品を書きました。こちらのページでは、その全編をご紹介いたします。時期的には文芸部ブログ(未確認マンガ集団文芸部)に掲載済みの、2009年から2015年くらいの制作になります。それ以前の同人誌掲載分も含まれております。 2016.9.12


◇未確認マンガ集団(文芸部) http://blog.livedoor.jp/fuefukipiero/


◎猫宮千之助 ◎笛吹ピエロ ◎神楽坂ポウ ◎李 紅春


砂に消えた恋     笛吹ピエロ


 もうずいぶん昔のお話になりました。べつに振り返ってみたところで、何ということもないと思います。お話して自分自身が「救われる」とか「どうにかなる」とかそんな大それた思いなどはありません。ただ僕は彼女のことを「いとおしかった」それだけです。そのことだけは間違いないとはっきり言えると思います。


 自分の寿命があと何年なのかは分かりません。でも、かりに「あなたの生涯で一番愛した女性は誰ですか?」とたずねられたら、きっと彼女の名前をあげるはずです。いやいやまず最初に「妻いがいに…」とお断りしていたほうがよいのかもしれません。


 その日僕は九州の親戚の家にいました。法事に1人出席していたのでした。確か26歳、独身の頃でした。小雪がちらつく冬でありました。親戚の家のそばには海がありました。家でご馳走を食べたりお酒を呑んでいるとほどよい気分になりましたので、僕は酔いさましにその海に歩いて行くことにしたのでした。海まで歩いて5分ほどです。すぐ近くでした。


 海は子供のころ泳いだ海でした。五つのとき故郷を離れるまで、遊んだ海でした。名古屋、大阪と引越ししても、学校の夏休みにはときどき帰ってきて、貝をひろった海でした。有明海の潮のにおいをずっと覚えています。広大な空と青い海。はるか向こうの島原半島、雲仙岳の姿はいつまでも変わっていませんでした。この懐かしい風景を見れば「故郷に帰ってきたんだ」と思っていたのでした。


 冬の海岸には誰もいませんでした。空を見あげると曇ってきていました。風も少し出てきたようです。波も白くなってきています。でも僕は何かしらフッと思い出したことがあって、その場に立ち止まると、腰をかがめました。そして砂浜の上に、指で2つの文字を書いたのです。それは『みほ』というひとりの女性の名前だったのです。


 彼女は、三つ年下の女の子でした。彼女のお父さんは父と同じ会社で働いていました。父が働いていた会社は大きな化学会社で全国各地に工場を持っていました。海外にもありました。その関係で転勤の多い会社でもあったのです。父は熊本から名古屋、大阪と転勤していました。僕も母、弟といっしょに父について行ったわけです。ずっと社宅、アパートで暮らしていたのでした。彼女も同じでした。熊本の出身だったのです。弟さんがひとりいました。


 大阪に引っ越してきたとき、僕たちは5階建ての社宅の3階に住んでいました。彼女は同じ階段の2階に住んでいました。本当に近くに住んでいたのです。名古屋から大阪に越してきたのは、僕が中学2年生のときですから、彼女は小学5年生くらいだったのでしょうか。ほぼ同じ時期に引越ししてきていたのでした。しかし僕は彼女の存在をまったく知りませんでした。


 彼女を意識しだしたのは、彼女が中学生になってからです。彼女は私立の中学に通うようになり、最寄りの駅までバスを利用するようになっていました。そのバスに高校に通う僕は乗り合わせていたのでした。毎日バス停で彼女を見かけるようになっていたのでした。帰りの時間もときどき同じ時間になったりもしていました。


 近くに住んでいるといっても僕は彼女と話をしたことはありませんでした。しかしバス停で彼女の姿を毎日目にするようになると、次第に彼女がとても美しくなっていることに気がついたのでした。彼女は顔が小さくて瞳は涼しげに輝いていました。鼻はすらりと形がよく、髪も長くて清潔で、口も小さくてとても肌の白い女の子でした。体は可愛そうなくらいやせて細かったのですが、その細い腕と足首は素晴らしく可憐に見えました。彼女の声は小さくて、とても魅力的な声でした。


 彼女が成長していく過程を、僕はずっと見ていたのでしょう。しかしあまりにもそばにいたので、彼女の美しさにまったく気づかないでいたのです。彼女が小学生、中学生、高校生と成長していくにしたがって、僕は強く彼女を意識するようになり、そして彼女のことを好きになっていったのでした。かけがえのない女性として意識するようになっていったのでした。


 時は過ぎました。僕は芸大へ通う大学生。彼女は高校3年生になっていました。困ったことが起きたのはまさに突然でした。彼女のご両親が社宅から車で1時間ほど離れた南の地に家を買って、引越しすることになったのでした。父の会社では定年退職が近くなると、家を買い社宅を出て行かれる人たちが多かったので、彼女のご両親もそうされたのでした。僕はまだ彼女のことが好きでした。しかしそれまで彼女と短い話はしても、色々ふみこんだ会話ができる間がらには、まだなっていませんでした。僕はこれからを期待していた矢先だったのでした。


 僕はあわてました。彼女が引越ししてしまえば、もう彼女に会えなくなってしまいます。彼女との将来をも描くようになっていた僕は、何とかしなくてはならないと思ったのでした。


 彼女の引越しの日にちがせまったある夜。僕は学校の授業をおえるとひとつの決意をしてバスをおりていました。社宅と社宅のあいだの薄暗い道をまっすぐに歩きながら、自分の心臓が高鳴るのが分かりました。通りすぎて行くボンヤリとした街灯の明かりだけが頭に残っています。自宅のある棟までくると、僕は3階にある家までの階段をいつもよりゆっくりとのぼって行きました。のぼって行けば我が家なのです。しかしその日はちがっていたのです。僕は2階で足を止めると彼女の家のチャイムのスイッチを静かに押したのでした。


 扉はすぐに開きました。玄関に出てこられたのは彼女のお母さんでした。僕はよわよわしい声で「こんばんわ」とあいさつしたのです。それから次の言葉がすぐに出なかったみたいです。お母さんはそんな僕を見て変な顔はされませんでした。ほほえんでおられました。僕は彼女とそんなに会話はしなくとも、彼女のご両親とは日ごろお話しをしていましたので、助かった思いはしていました。気をとりなおして「ちょっと…お話があるのですけど」ときり出すと、お母さんは「話って…どんな話なのかしら」と不思議そうな顔をされたのですが、家の中に入るようにとすすめられたのです。僕は彼女の家に生まれて始めてあがったのでした。


 家にはお父さんがおられました。仕事は交代制だったのですけれど、その夜はたまたまおられたのです。お父さんは僕を見るなり驚いたようすでした。いくら近所に住んでいるとはいえ、また子供の頃からの僕を知っているとはいえ、夜にこうしてたずねてくることなど今まで1度もなかったからです。「一体何しにきたのだろう?」と思われたにちがいないのです。


 僕はお父さんとお母さんに「ご家族をみんなよんでもらえませんか」とお願いしました。彼女と弟さんをよんでもらいたいとお願いしたのです。お父さんが声をかけると、ふすまが開いて彼女と小学生の弟さんが入ってきて座りました。彼女は風呂あがりの長い髪がぬれて、少し大人っぽく見えました。コタツのまわりに彼女のご家族4人が座ったのです。


 僕は本当に緊張していました。のどがかわいて口の中がへんな具合でした。言葉がすぐに出てこなかったのです。しかしみんなが僕に注目しているのですから、このままだまりこんだらダメだと思い勇気を出して4人にむかって自分の思いを告白したのでした。


「じつは、みほちゃんをお嫁にもらいたいと思っているのです…」


 告白した後はよく覚えていません。つづけて何を説明してよいのやら分からなかったのです。でもお父さんとお母さんの反応はこちらが驚くほど早かったのでした。お父さんは「そうだったのか、うんうん分かった…3年くらい先かなあ」と早口で言われました。お母さんは「お嫁にやるなら…知り合いの人がいいと思っていました」とうれしそうに言われました。僕はそんなまわりの言葉を聞くと、何だかほっとしてしまいました。打ち明けてよかったと思ったのでした。


 かんじんの彼女はずっと下をむいて何も言わずただほほえんでいました。しばらく僕は彼女の家庭の中にいたのだと思います。つづきの話をしたのだと思うのですが、ほとんど思い出せません。たぶんものすごく緊張していたせいだと思います。ただ帰るまぎわにコタツから立ちあがろうとしたとき、ずっと正座していた足がしびれていて、その場にひっくり返りそうになったことだけは、はっきりと覚えています。


僕は21歳の大学3年生。彼女はこの春、高校を卒業する18でした。

 

 突然、彼女の家に行って「お嫁にもらいたい」などと告白するのは、少し唐突過ぎたと考えたりします。彼女の気持ちを確かめもせず、家に押しかけたことは失礼であったかもしれません。しかし、時間がなかったのです。彼女が引越ししてしまえば、まずそれまでだと思えたのでした。すぐに結婚の話とはならないでしょう。でもその気持ちが僕にあることを彼女とご家族に知ってもらいたかったのです。


「引越しされても、彼女とお付き合いをさせてください」ということを伝えたかったのでした。彼女のご両親は喜んでくれました。だけど僕が知り合いであるということもあり、父母を昔からご存知ということもあって、いくらか複雑な心境であったろうとは察することができたのでした。


 告白して彼女がどのように感じたのかは分かりません。うつむいてほほえんでいた彼女の心の中は読み取れませんでした。そこで僕はすぐに彼女に手紙を書いたのでした。書いて彼女の家のポストに入れました。内容は「勝手に押しかけて告白してごめんなさい。もうあなたに会えないと思ったので決意しました。…でもひょっとしたらあなたには他に好きな人がいたりするかもしれません。もしも僕をその対象としてまったくみれないのでしたら、早く断りの返事をください」というものでした。


 返事は何もありませんでした。断りの返事はありませんでした。間もなく彼女とご家族は引っ越して行かれました。


 僕は彼女のお父さんが言われた「3年」を目どに頑張ろうと思いました。大学を無事卒業して就職して、彼女との生活の基盤を作ろうと思ったのでした。まずは自立しないことには彼女との将来はありません。一生懸命働かないといけないのです。大学は留年することもなく卒業できました。そして自動車の販売会社に就職が決まりました。新車の営業マンでした。僕は1年目から売り上げを伸ばしました。収入もみるみるうちに増えていきました。やはり彼女への思いがあったからでしょう。「早く一人前になりたい」そんな意気込みが仕事の実績に結びついたのかもしれません。


 そんな状態でしたから、仕事が中心になりましたから、彼女の家には足が運びませんでした。年賀状や暑中見舞いのハガキを送るくらいでした。でも僕は安心していたのです。それはのちに彼女に告白したことを父母に話しましたので、父母は彼女のご両親にあいさつをしていました。彼女の新しい家にも招待されていたのです。僕は両家がそんな関係になれたことにホッとしました。


 彼女が成人式をむかえた年、父母は2枚の写真をご両親からことづかってきました。成人式の日に撮られた彼女の写真でした。どちらも着物を着て家で写したもので、1枚は立っているところ、もう1枚はイスに腰かけてほほえんでいる写真でした。彼女はしばらく見ないうちにさらに美しくなっていました。僕は頂いたその写真を大切にして、宝物にして、あともう少し頑張ろうと思ったのでした。

 

 告白して「3年」はあっという間に過ぎました。働き出して年数は浅いものの、僕はある程度の収入を得ることができるようになっていました。 そんなある日の夜、同僚が「今度の休日に彼女がいるのならさそってドライブに行かないか?」と言ったのでした。僕はわりと気楽に駅前の電話ボックスから彼女の家に電話をかけていました。


 電話に出たのは何と彼女でした。少し待たされたので彼女は自分の部屋の電話に切りかえたのかもしれません。僕は彼女にすっかりご無沙汰していたことをあやまりました。3年以上彼女に会っていなかったからです。それも彼女を束縛したくなかったこともあります。僕が自立するまで、彼女は自由であると考えたからでした。


 しばらく話してドライブにさそうと、どうも彼女の態度がおかしいことが分かりました。何かしら煮え切らない返事ばかりが帰ってくるのでした。そしてどうやら僕に会いたくない様子がうかがえたのでした。僕は3年前のことを振り返って彼女に聞いてみました。すると彼女は「あの時、腹が立っていた」と言うではありませんか。どうして腹が立っていたのならほほえんでいたのでしょう。それならどうして今まで黙っていたのかと問いただすと、「あなたのお母さんに悪いと思ったから…」と弱弱しい声で答えたのでした。また手紙を書いても彼女が返事をくれなかったことを確かめると「分かりそうなものだけど…」と冷たく答えるのでした。また彼女は片想いだけど「今、好きな人がいる」と告げたのでした。「もう会えないの」と僕が彼女に聞いた時、彼女は「電話くらいだったら」と返事しました。僕はわけが分からなくなって、受話器をガチャンと大きな音をたてて、レバーにたたきつけていました。

 

 僕はその夜、一滴のお酒も飲めませんでした。胃が何も受けつけなかったのです。夜の街をお酒も飲んでいないのにフラフラと歩きつづけたのでした。足もとだけがふらついて夜空の星がみんなかすんでいくようでした。「彼女が誰かほかの人のものになる、一体自分は3年間何をしていたのだろう?」と考えたら、ただ涙がボロボロとこぼれ落ちていました。自分の恋愛知らず、世間知らず、お人よしかげんにほとほと情けなく思ってしまうだけだったのです。


 その週の休日、僕は彼女の家に行ってみました。どことなく信じられないところがあったからです。家にはお父さんだけがおられました。しかし「自分には分からないから」と言われたので、すぐに帰りました。そして数日後、お母さんが家に来られて、はっきりと断りの返事をされたのでした。僕と彼女のことがなかったことにしてほしいと言われたのでした。彼女は僕が受話器をガチャンと切ったことが、気になっているらしいとのことでした。僕はふられたからといって、彼女に危害を加えるようなめめしい男ではありません。お母さんはそれが心配になってどうやら来られたようでした。僕はお母さんにていねいにお礼を言うと、駅まで車で送りました。

 

 失恋の悲しみ。僕はしばらく彼女のことが頭からはなれませんでした。彼女についやした時間はどれくらいだったのでしょう。取り返しのきかない青春だったように思います。一方的な僕の片想いでしかなかったのでしょう。1人で勝手に彼女を想いつづけていただけなのでしょう。しかし電話で彼女が「電話くらいだったら」と返事した時、笑って「ああ、それじゃあ、また電話かけるね」と答えるくらいの、広い心があったならばと後悔せずにはいられなかったのでした。

 

 その後、彼女はすぐに結婚されました。子供さんも男の子が2人産まれました。父母あてに彼女のご両親から写真入りの年賀状が届きましたので分かりました。その年賀状は弟さんの結婚式の時の写真でした。彼女のご主人以外のご家族が写っていました。彼女は黒の和服を着て赤ちゃんを抱いて写っていました。彼女は少女から成人し、結婚して妻となり、母となったのです。独身の僕は何ともいえない心持になったようです。それからしばらく遅れて僕は結婚しました。2人の娘の父親となりました。恋愛は運命だと思います。偶然の重なりが男女に相手の存在を意識させたり、運命の赤い糸を感じさせたりするものだと思います。僕が彼女と出会ったのも運命なのでしょう。実を結ばなかったのも悲しい運命なのでしょう。

 

 ある日、母と妻、子供たちをつれて家の近くのスーパーに買物に出かけた時でした。父は定年退職し南の地に家を買いました。僕たち家族はそこで暮らすようになっていたのです。僕は幼い次女を抱いていました。お店のエスカレーターをのぼろうとした時です。左から先に男の子の手を引き、急いでのぼっていく女性を見つけたのでした。後姿を見て僕はハッとしました。それはまぎれもなく彼女だったのです。その彼女のあとをご主人らしき人がもう1人の男の子の手を取り、あわてて追いかけていました。どうやら彼女は僕たちに先に気づいたのでしょう。だから早足になったのだと思います。


 ご主人は普通の男性に見えました。僕と比べても何も変わらない男性に見えました。少し年配のようにも感じました。 僕の目の前に彼女はいるのです。懐かしくてたまりませんでした。声をかけたくなったのですけれど、それはできませんでした。およそ15年ぶりの再会のはずでした。彼女は2階に上がると別の方向に歩いて行きました。


 そして買物が終わり駐車場へもどると向こうから白い車がやって来ていました。運転していたのは、さきほど見かけた彼女のご主人でした。彼女も終わって帰るところだったのでしょう。また鉢合わせになったのです。僕は娘を抱いたまま立ち止まりました。彼女を乗せた車は目の前を通り過ぎて行きました。うしろの座席に座っていた彼女は僕たちになぜだか顔をそむけていたのでした。 その時、彼女は僕を見て何を思ったのでしょう? 結婚し子供をさずかった僕に何を感じたのでしょう?

 

「私という女性がいながら、あなたは結婚したの?」「あなたも結婚して、父親になったのね」それは僕には分からないのでした。ただ、こうしてまた偶然があって、もう会うことのない愛しい人に会って、彼女に僕の家族を見せてあげられたことは、何だか神様の気のきいたいたずらのような気がしてならないのでした。


 冬の海は曇り空で、風が強くなって波は白く岸に押しよせていました。酔い覚ましに海岸に来た僕は、立ち止まると砂浜に指で『みほ』と彼女の名前を描きました。すると雲のすき間から雪がサッーと降り落ちてきたのです。みるみるうちに雪は吹ぶいて灰色の空一面に舞い、周りは嵐のような天気になったのでした。僕はコートのエリを立てると、その吹ぶきに全身を打たれながら、目の前の『みほ』という2つの文字が風に流れて消えて行くのを、ジッと見送っていたのでした。


「砂に消えた恋」はもう2度と帰っては来ません。過ぎた年月だけが早足に駆けぬけて行くだけです。海はすべてをやさしく強く洗い流してくれます。僕は自分の生涯が間もなく耐えようとするその時、腰の曲がった老人になったその日、ふたたびこの海に来て、ポケットから古くなった2枚の写真、彼女の写った2枚の写真を取り出すと、この海にそっと流そうかと思っています。

 

 僕は彼女のことを一生忘れられません。忘れることができません。 おわり 


波旬羽織     猫宮千之助


 又、事件は起こった。同居している嫁と姑の諍いである。原因は子供の事である。数日前、妻が風疹の病に罹り5日ばかり寝込んだのであるが、1歳になる次女の良い乳離れの機会だと、母は乳を欲しがって夜泣きする次女に毎晩添い寝して懸命にあやしたのであった。


 その折、幾分回復に向かった妻は乳が張ると言って次女に乳を含ませてしまったのである。それを見た母は怒った。「何の為に…」と。母は泣きじゃくり、妻も泣き出した。そしてお互いを罵倒したのである。母は妻に「子供達を置いて実家へ帰れ」と言った。妻は堪えきれず私に「一緒に家を出て」と嘆願した。もう母とは暮らせないと決め付けたのである。


 私はそんなに動揺しなかった。それはいつもの事だからである。最初の頃の私は、問題が起こると妻と母の間に入り右往左往し2人を宥めていたが、そのうち「知ったことか」と思う様になってしまった。馬鹿馬鹿しくなったのである。


 夜、父を交えて話をした時、妻は「2人の子供を連れて、明日実家へ帰りたい」と泣きながら訴えた。父も私と同様に、この件に付いてはほとほと嫌になっていたのである。母は煮え切らない父の態度にとうとう爆発した。母は大声で「帰ってしまえ!」と叫ぶと興奮して「飛び込んでやる」と表へ飛び出した。足は線路のある方向に向いていた。


 父は抱き止めた。然し小柄な母の力は強く、何度も父の胸の辺りを拳で叩いては突き離そうとしていた。私も止めに入ったが、母は益々手の付けられない状態になっていた。こうなるともう狂人並みである。母は産まれ付き癇癪持ちに似た気性があった。いやそのものと云ってもいいかも知れない。今までヒステリーが異常に高まると意識を失い何回か倒れていたのである。駆け付けた医者は決まって「どこも悪くありません」と診断していた。そのうち母は掴んでいた私の腕を「離せ!」と言って殴打した。私はその痛みについに腹が立って母を殴り返そうとした。だが父は制止した。何とか母を宥めると、父母は1階の居間へ、私達夫婦は2階の部屋へ上がり、其々話し合ったのである。1階から母の呻き声が聞こえた。


 どうして妻と母は、お互い仲良く暮らせないのだろうか。父も私も働いている。疲れて帰って来て家庭がこの有様だとゆっくりもできない。全く疲れてしまう。母がどうしてそんなに興奮したのかと云うと、理由は判然としている。母が悪者扱いされるからだ。親戚縁者に母が妻に辛く当たったのでそうなったのだと耳打ちされるのである。親戚縁者は母の性格を知っている。勝気で人の言葉に耳を傾けない母の本性を知っているのである。妻が家を出れば「やはりあの母親とは同居できないのだ」となってしまうのだ。


 私は同居する前にその事は薄々分かっていた。だが妻の温厚な性格を考えると、ひょっとしてうまくいくのではと期待したのである。母は何でも自分でしないと気が済まない性格。妻は大雑把で細かい所に拘らない性格。例えば台所で洗物をしても、妻は丁寧な洗い方ではないので少し汚れが残ったりしていた。だが酷過ぎる程でもない。然し母は気に入らないのだ。又自分で洗い直している。家事は何事もこんな風であった。


 無神経だが明るい妻と神経質で陰湿な母。2つの歯車は最初の頃はお互いが助け合ったりしてうまく回転していた。家庭が朗らかでもあった。私は安堵した。私が長男でもあったからだ。だがその期待も次第に裏切られてしまった。いや安易に期待した私達が浅はかだったのかも知れない。歯車と歯車の間に油を注ぐ役目を、必然的に誰かがしなくてはならなかったのだ。だが父と私にはそれができないでいた。不慣れがことごとくの素因となっていたのである。


 然し世の女人供は誠に気楽である。日々困惑の火種を捜しては、男達に見せ付けてくれる。ほんに女人は可愛くもあり、厄介な異物であると思うのは私だけなのであろうか。波旬とは仏の修行を妨げる魔王の事である。どうやら私は母と妻の背中に波旬の羽織を見つけた様だ。 終


消えた顔     李 紅春


 早川相馬様が朝起きて、ご自分のお顔の変化に気が付かれたのは突然でございました。前日の勤め帰りに行われた送別会で、お酒を呑みすぎたせいかと考えられたのですが、それでも何だか奇妙に思われたのでした。ご自宅の洗面所の鏡で見ると、お顔が赤黒く浮腫んでいるのです。そして頭髪や眉毛が少し抜け落ちているようなのでした。顔を洗うとパラパラと毛が流れていきました。また目がかなり細くなり、鼻も窪んでいるみたいでした。口も幾分縮んできたようです。全体的にお顔が鼻の中心に押し込まれていくような、そんな心持であったのでした。


 早川様は奥様に「自分の顔がどうも変だ」と訊ねられましたが、奥様は「別に変わってないですわよ」と答えられました。早川様はご自分の錯覚なのだろうと考えられて、いつものように会社へ出勤されたのでした。バスに乗り、電車へ乗り継いで損害保険の会社へと出勤されました。早川様は内勤の課長様でございます。お仕事は損害保険を取り扱う代理店の管理が主でした。出勤して上司や同僚、部下にそれとなくご自分のお顔の変化のことを聞いてみられたのですが、奥様の言われたことと同じでした。何も変わりなかったのです。早川様のお仕事は電話での応対、書類作成などですが、会社の車で代理店を巡回されたりもします。その日は巡回の日でした。


 得意先周りみたいなものでした。早川様は代理店主に不安ながらも次々と自分の顔の変化のことをやはり訊ねてみました。しかしどなたも早川様のお顔がおかしいとは答えられなかったのです。時々車のミラーや代理店に備え付けの鏡などで確かめてはみるのですけれど、早川様のお顔は朝よりも一段と奇怪な顔になっていたのでございます。まるでそれは化け物、大きな梅干のようでした。顔の目、鼻、口がすべてクチャクチャになってきているのです。夕方にはもう頭髪も眉毛もすべて抜け落ちてしまっておりました。とても人とは思えない顔になっていたのでした。それでも目は見えますし、臭いも嗅げますし、言葉も普通に喋れます。普段と何も変わりはないのです。


 仕事が終わり、街を歩いていても、またバスに乗り電車に乗っても、周りの人たちは誰も早川様の醜い顔に気づきませんでした。早川様は不安ながらも1日の仕事が終わったことに安堵し家路へと急がれたのでした。家では奥様と2人の幼いお嬢様たちが帰りを待っておられたのです。


 夕食前、お嬢様たちがクスクスと笑っておられます。早川様は気になってお嬢様たちに「パパの顔は本当は、おかしいよね?」と訊ねられたのでした。お嬢様たちはお2人、可愛く顔を見合わせて「だってパパはママと同じだもの」と無邪気に答えられたのでした。


 早川様は台所で、後ろ向きに料理をされている奥様に声をかけられました。すると振り返った、奥様の顔も早川様と同じ梅干の顔になっていたのでした。奥様は早川様に「私の顔どこかおかしいの?」と訊ねられました。


早川様は「いや、別に変わりないよ」と、優しく答えられたのでした。 完


全児童販売機     神楽坂ポウ

 

桑方警察署の香呂木署長が、B町派出所の巡査から報告を受けたのは早朝でした。


「近辺の子供たちが、みんないっぺんにいなくなったみたいです」


 受話器を取った香呂木署長は何のことだかさっぱり分かりませんでした。しかし次々に各々の派出所から「うちの子供がいなくなった」と言って親が来ているなどと連絡が入ったりすると、桑方警察署内はがぜん慌しくなりました。


 その情報を要約すると、その朝、A市全域に住む5歳から10歳までの子供たちがみんな、こつぜんと姿をくらましたのでした。どこに行ったものやら分からないのです。親たちは口々に「昨晩までは確かに家にいた。眠っていた。朝になったらいない」と答えました。誰かに連れ出された気配はありません。何より数100人の子供たちがいっぺんにいなくなることなど考えられませんでした。


香呂木署長は牧江田教授に連絡を入れました。牧江田教授はことの次第を聞くと、ある推理をしたのです。


「子供たちがいなくなったのは早朝だったのですね」

「はい、朝からバタバタと連絡が入ったり、ご覧のように署には親たちが押しかけて来て騒いでいます。とにかく子供が数100人ですからなあ。一体どこへ行ったものやら?」 桑方署の周辺はいなくなった子供たちの親がやって来て「うちの子供を捜してくれ」の大騒ぎの有様でした。

「現場検証はすべてされたのですね?」

「ああ調べましたけど、全件誘拐事件と思われる節はありませんでした」


 香呂木署長は調書を取り出すと牧江田教授に渡しました。教授はダンヒルの煙草に火をつけるとその調書を手に取り、窓際のイスに腰かけて目を通し始めました。窓の外では親たちがますます騒いで、それをなだめる警官たちと押し問答しています。暴動のような状態になっていました。


「署長、今、何時でしたかな?」


しばらく調書を読んでいた牧江田教授は聞きました。教授はお気に入りの英国真理学会の銀の懐中時計を忘れてきていたのです。


「エッ、12時前ですけど、もうすぐお昼ですなあ」

「うんうん、それなら12時きっかりになったら子供たちはすべて、家に戻っていますよ」


香呂木署長は驚いてしまいました。どうして牧江田教授はいとも簡単にそんな風に断定できるのでしょう。


「教授、ど、どうして分かるのですか?」


牧江田教授は微笑むと、こう説明したのでした。


「調書によると、いくなった子供たちは全員、全児童販売機の出生となっているじゃありませんか、今日は確か地球でメンテナンスの日ではありませんか? 細胞の定期検査の日ですよ。日にちの変更があったことを思い出しましたけど…」


香呂木署長は教授にそう言われてハッと気づきました。


「そうそう、今日は地球で検査の日でした。それでみんなワープしたんですね」


声〔地球ですって? それでは一体ここはどこなのかしら?〕


桜が咲いた日     笛吹ピエロ


 冷たい風が吹いている日でした。窓を開けるとそこには桜が咲いています。家のまん前には納骨堂があって、大きな桜の木が12本ばかり植えられているのですよ。1年に1回、その桜の白い花が美しく咲く季節、春になったのでした。こんな時に縁側に座ってビールでも呑んで、スルメとかピーナッツを食べながらポーッとして花見をするのは、とても気持ちのいいものですね。


 でも僕は働いていませんので、何だか昼間からお酒を呑むのには気が重くなってしまいました。そこで台所にあった節分の残りの豆菓子の袋を手にすると、縁側に座ったのでした。縁側の下には歩けない犬、シェルティのナナがいました。ナナはもう10才になるお婆ちゃん犬です。足腰が弱っていて、もうまともに歩くことができません。ヨチヨチとはうように進むくらいです。ご飯だけは一杯食べますから、運動不足でまるまると太ってしまいました。僕は豆菓子の袋から大豆を取り出すと、そのナナにあげました。ナナは喜んで食べました。そして僕もナナの横で大豆をボリボリと口にほおばりながら、桜の花見としゃれこんだのでした。


 3月の下旬。やはり風がまだ冷たいようです。少し寒かったのですけれど、あくる日からお天気が悪くなるみたいなので、ガマンして縁側に座っていました。手に豆菓子の袋を持ち、足をブラブラと揺らしながら桜をながめたのです。何しろ1年に1回しか見れない花なのですから、できるだけこの素晴らしい光景を見ていたかったのです。庭には洗濯物が干してありました。風にユラユラと揺れていました。


 その洗濯物を見ていたら、赤いパンティが下がっていました。長女のものなのでしょう。「へぇ、こんなに真っ赤なパンティはいてるのか」と少し驚いてしまいました。自分の娘の下着なんかふだん興味ありませんからね、めずらしかったのです。そして肌色のブラジャーも下がっていました。これは妻のでしょう。隣の長女の黄色いブラジャーと比べると大きいみたいでした。妻は肥満体ですからこんなに大きいのです。その妻のブラジャーをよく見ると、ほころんでところどころ糸クズが出ていました。


 僕はそのほころびをジッと見ていたら「しんぼうしているなぁ」と妙に感心してしまったのですよ。家族のことはある程度知っているつもりです。でも妻や娘たちがいつもどんな下着をつけているのかは分かりません。買物に一緒に行っても、女性の下着売場にはどうも気恥ずかしくていられませんしね、よく考えてみたら家族のことだって知らないこといっぱいあるなぁと思ってしまいました。


 妻も長女も次女も働いています。働いていないのは僕だけです。母はお年寄りなので免除なのです。縁側に座っていると、目の前をカササギが2羽、すごいいきおいで空へ飛んで行きました。真っ黒でお腹と翼の先が白い鳥です。その飛びかたがすごくかっこよかったのですよ。僕はまた大豆をボリボリと口にほおばりながら、「あんなふうに大空を飛べたらいいなぁ」とうらやましく思ったのでした。 桜が咲いた日の出来事です。


微笑     猫宮千之助


 夕暮れの凄雨が滞った水滴になり、川面に反照している。風位は定かではない。明瞭であり至って過敏である事は分かる。下肥の臭いが霜柱に絡み付いて幾度となく凪いでいた。土手の下の廃屋には畳の饐えた臭気と散漫ないにしえだけが点在しているだけであった。垣間見れるだけであった。廃屋には家財道具らしき物はなにもなく、昼間でも暗澹とした静の世界であった。光の差し込む場所は僅かに屋根代わりの鉄のトタンの部分、蛇腹模様の押し曲がった隙間の箇所だけで、心なしか貧相な空気が澱んでは消えていた。雨音が屋根に響いて物悲しい音楽を奏でていた。


 女はその廃屋の薄汚れた布団に中で息をしていた。椿柄の毛布から覗いている白い額は、長く床に付いているせいか幾分青褪めてはいるものの、彫りの深い面立ちや細い足はダ・ヴィンチの描いた天使の様に可憐でそして魅力的であった。女は両腕がなかった。


 男は廃屋に帰って来た。呼吸が荒いのは走って来たからであろう。冷え込んだ室内に男の白い息が弾んで見えた。男は濡れた作業着の胸元から小箱を大切に取り出すと女に見せた。男の顔は喜びに溢れていた。女は「何を買ってきたの?」と彼女の表情で男に伝え様とした。男は鉄工所の勤め帰りに駄菓子屋でそれを見つけたのだと、得意げに指で女に説明したのである。男は言葉が不自由であった。


 小箱の中には5つの小さな指人形が入っていた。三角の帽子を被り星の沢山付いた様々の色のパジャマを着て、両手を一杯に広げた子供達の人形であった。男はその人形を自分の油に汚れた指先にぎこちなく差し込んでいくと、自慢げに指を伸縮させて女に見せた。女は男のおどけた仕草に思わず吹き出してしまった。2人はその指人形があたかも自分達の子供達であるかのように親しみを感じ、そして共通の喜びを描いたに違いない。


 男は女を街で拾って来た。「拾って来た」と云って良いのだろう。ある日の夜、男は路地裏の隅で振るえてしゃがんでいる女を見つけた。男は女に何かしら事情があることを感じながらも躊躇いなく廃屋に連れて来ていた。男はその事情を女に訊ね様とはしなかった。訊ねてしまえば、女は男から去るだろうと思ったのである。また男は女に両手がない事を何とも思わなかった。同じ仲間なのだろうとだけ思った。男は女がただ不憫でならなかった。この不憫な女を介抱し世話をする事が、神が自分に与えた使命なのだと思えたのである。


 2人の慎ましやかで幼い生活はずっと続いた。そのうち2人はお互いを「好き」だと強く意識する様にもなった。2人は2人の人生がずっとこれからも一緒だと感じていたのである。しかし女は間もなく廃屋で息を引き取った。5つの指人形を男の指に見て男の腕の中で死んだのである。


 男は泣いた。淋しくて泣いた。そして耐え切れず廃屋に火を放ったのである。男は燃えさかる炎の中で女の両腕に羽根のはえたのを見た。男も自分の背中に羽根のはえたのを見た。男と女はこの世で最後の微笑を交わし、ひとつになり、天高く昇って行ったのである。  終


 

精神病院の幽霊     李 紅春


 私の妻は病院で働いております。ある精神病院で看護助手として働いているのです。勤めて4年ほどになります。精神病院がどのような所なのか、ご存知の方は少ないと思います。ですが近頃「鬱病で困っています」などとおっしゃる方たちも多いようなので、私が妻から聞いたお話を少ししてみようかと思います。何せ入院患者さん方のプライバシーに関わることでございますから、ごく手短にお話してみることにいたします。


 妻の勤め先の精神病院は少し小高い山の中腹にあります。周りは畑ばかりで、人通りも少なく、夜は街灯もないので真っ暗です。しかし山奥というほどでもありません。車で2分も走れば住宅地が密集しています。


 この病院に入院している患者さんは150名ばかりで、年齢は20代から80代まで、長い人は30年も入院している患者さんもおられるそうです。病室は6人部屋で、ベットだけがあり特別大きな家財はないそうです。それぞれの身の回りの品は箱に入れてベットの下に置かれます。


 病院の1日は午前5時の起床から始まります。朝目覚めると、患者さんは各自、自分のポットを持ち食堂にお茶やお湯を汲みに行きます。それから7時55分の朝食まで、「デイルーム」と呼ばれる休憩室、20畳の和室でテレビなどを観られるそうです。このデイルームでは将棋や囲碁もできるそうです。朝食が終わると9時にラジオ体操をし、11時55分の昼食まで、「デイケア」と呼ばれている広い部屋で、ビーチバレーや卓球、陶芸をしたりするのです。何をするのかはご本人が決めます。何もしたくない人は病室でじっとしています。


 昼食が終わっても同じです。午後5時の夕食まで、テレビを観たり運動したりして時間を過ごします。他にゲートボールやカラオケ、ピクニック、漢字の学習や簡単な労働作業も日替わりで行われます。消灯は午後9時。それでも11時まで「デイルーム」で野球中継などの番組を観て良いそうです。


 患者さんの楽しみに、お菓子があります。決まった額だけ好きなお菓子を注文できるのです。黒ボウやゼリーお煎餅を食べたりできるのです。お風呂は、週に2回だけ、シャワーは毎日使えます。外出は週に1回、許可のある人は午前10時から午後3時半まで出かけることができます。タクシーや自転車を利用して、町に遊びや買い物に行けるのです。徒歩の人もいます。


 この話を妻に聞いた時、私は患者さんが帰って来なければいけない時間に、皆帰って来るのだろうか、という疑問を感じました。すると妻は「帰って来ない人もいる」と答えたのです。それでは一体その患者さんたちは、どこに行っているのだろうと聞くと、「隣の県まで」とか「東京まで行っていた人もいる」と教えてくれたのです。病院は地方にあります。東京へはかなりの時間がかかります。では東京へ行った患者さんはどうやって見つかったのかと聞くと、持病の発作がおきて倒れ、都内の病院に担ぎ込まれていたのでした。良かったものです。外出を許可した患者さんが、時間になっても帰って来ない場合は、病院はパニックになるそうです。警察沙汰にもできないようですし、とにかく皆であちらこちら探さないといけないようです。


 病室では患者さんどうしの喧嘩は時々あります。でも暴力を振るったり、暴れたりした場合、その人は「保護室」と呼ばれる独房で謹慎しなければなりません。「保護室」には鉄格子の窓があり、床はコンクリート、便器が1つあるだけの殺風景な部屋です。布団は患者さんが破ってしまうのでありません。食事は与えられますが、獣と同じ取り扱いになってしまうのでしょう。犬、猫と同じになってしまうのです。


 大体、精神病院の生活とはこのようなものでございます。これらの生活を考えたら「たいして普通の病院と変わらないじゃないか? 本当に精神の病気の人たちなのだろうか?」と思われるかもしれません。患者さんの中には、大学を出た人もおりますし、難しい専門書を読んだり、病室でバイオリンやフルートを演奏したり、院内のピアノを弾き練習している人もいるのです。また患者さんどうし親しくしておられる男女もいるみたいです。


 しかし、一部に全く手の付けられない重病患者もいるのです。これらの患者さんは、すべてご家族から見放されている人だそうです。ご家族にとってその患者さんはやっかい者なのです。仮に退院しても、またすぐに戻されてしまうのです。患者さんはご家族にとって現れて欲しくない、幽霊のような存在なのでしょう。


 そしてこの精神病院の「保護室」には夜中の2時から3時にかけて、誰もいない部屋に時々、火の玉が飛んでいるそうです。夜勤は8人おられますが、全員「保護室」のモニターでそれを見ているそうです。「保護室」では何人かの患者さんが自殺していますから、きっとその人たちの霊なのでしょう。また、引き取り手のない遺骸は、「霊安置室」にしばらく置かれていますが、そこでも夜中に誰かのすすり泣く声が聞こえてくるそうです。


 帰る場所をなくした霊は、一体何を人々に語りかけようとしているのでしょうか?家族の絆というものは大変とうといものだと思います。すべてのご家族がいつまでも幸せに暮らせることがよろしいのでしょう。しかしその絆も一方で「家族の一員の何らかの発病」により、もろくも崩れ去り、残酷で非常な絆にもなってしまうということではないでしょうか。


「精神病院の幽霊」いや、あなた様の身近にもきっと、そんな霊がさまよっておられるのかもしれません。    完


戯曲 廃品回収者は三度ブタを鳴らす     神楽坂ポウ


   ◇登場人物  A 廃品回収者の紳士的な老人

          B 若い黒ぶちメガネをかけたサラリーマン


   ◇ 1幕 第1景

 舞台全体が明るい空色のブルー。中央に昔の赤い円筒形のポストが1つある。廃品回収者の声「ご家庭でご不要になった、古新聞、古雑誌、ボロギレ…ありましたらトイレットペーパーと交換いたします」が聞こえてくる。上手より廃品回収業者A、手に拡声器を持ち、リヤカーを押しながら登場。ポストに目をやる。


A「へえ、めずらしい。丸いポストねぇ。これも廃品みたいな物だからもらっていこうかな」

A、ポストを揺らして、リヤカーに乗るかどうか考えている。B、下手から登場。

B「ちょっと、お爺さん、何やっているの? まさかポスト持っていくつもりじゃないの」

A「そのつもりだけどね。このポストは君の物なのかい?」

B「はぁ? いいえ僕のじゃありませんけど、ポスト持って行ったら怒られるでしょう」

A「君、心配いらないよ。私はこんなに落ちぶれてはいるが、元、国会議員なのだ。朝は豆腐屋の大将で、昼はJALのパイロット。夜は銀座のナイトクラブのママなんだよ。それに週に2、3回は汲み取り屋のバイトもしているんだ。ニートも日当でやってる。月に何回か月にロケットで行っている。ウサギと一緒にきな粉餅を食べているんだ。君は知っているかね、月からながめる地球は真四角なのだよ。」

B「僕は月に行ったことがありませんから…ちょっと分からないのですけど。お爺さんはNASAの宇宙飛行士だったんですか?」

A「宇宙飛行士? 君は何を馬鹿なことを言っているんだ、誰がそんなことを言ったんだね。私が病室の天井のシミに見えるのかね。飛んだ血に見えるのかね。私はケンタッキーフライドチキンの食いカスなんだよ。マグドナルドのゴマじゃないんだ。竹の子よりもロールキャベツの方が好きなんだ」


B、訳が分からなくなっている様子。


A「ところで君は何んなの? 私に用があるのかね」

B「あぁ、廃品業者さんは、何んでも要らない物を持って行ってくれるのですね」

A「そうそう。最近はテレビにラジカセに洗濯機とか、電化製品も引き取っておりますよ。世間の奴ら、ちっとも物を大事にしない。ちょっと壊れたからってすぐに捨てやがる。まったくもってけしからん(怒る)」

B「…それなら、引き取ってもらいたい物があるのですよ。いいでしょうか?」

A「あぁ、持ってきなさい。何んですかな? トイレットペーパーいくついるのかな」

B「…じつは、うちの家内なのですよ」

A「はぁ?(驚く) 君の奥さんなの? 君は君の奥さんを廃品回収に出そうというの 」

B「はい、ぜひお願いします。本人も承知していますから、トイレットペーパー2個と交換でいいですから、うちの家内を持って行ってもらえませんか(嘆願)」

A「ふ~ん、これは何か深い訳がありそうだな。君、私にその訳を話してみたまえ」

B「有難うございます。言いにくいのですけど…うちの家内は金づちなのですよ」

A「ほぅ、金づち。泳げない人なのね」

B「いいえ、家内は本当の金づち。カ・ナ・ヅ・チなんですよ。トントンと釘を打つあれです。家内の父親がヤスリで母親がノコギリ、兄がカンナで妹が洗面器なのですよ。義理の伯父さんがタワシで、伯母さんが便所の下駄。お爺さんはカミキリムシでお婆さんはハゲなのです。近所の八百屋は魔法ビンで、歯医者はパーなのですよ」


A、頭をかきBが手ごわい相手に見えている。


B「だから(興奮して)僕は苦労しているのです! どうして僕にそんな人たちと付き合いができるのですか。僕は生まれてからこれまで、何も悪いことはしていないのです。朝日が昇れば隣の家の玄関に石を投げ、雨が降れば電柱に頭突きを食らわせ、風が吹けば駅の階段で女子高校生のスカートをめくっています。遠くに死にかけの人がいれば、首をしめ、早くくたばれとはげましています。どうしてこんなに善良な僕が、こんな目に合わなければならないのですか(涙声)」

A「(怒る)お、おのれは、悪党だろ! 市中引き回しの上、獄門、張りつけにいたすぞ!」

B「あなた様は、黄門様だったのですか…水戸のご老公…?」

A「肛門? 汚いことをぬかすでない。(完全にキレてる)私は生まれてから今日まで絶対にウンコはしてないし、おしっこもしてないのだよ。どうしたかって? 自然消滅なのだよ。私のウンコやおしっこは私の腹の中で自然消滅するのだよ」


B、非常に疲れた表情。しかし妻をぜひとも廃品回収者に引き取ってもらいたい。


B「そんなに腹を立てないで下さい。と、とにかく家内をお願いしたいのですよ」

A「(落ち着いて)まぁ、いいでしょう。そんなに奥さんが要らないのならね。私が引き取ってあげますよ。奥さんをトイレのふたにでも使いましょうか。家のテーブルの足、折れてるからちょうどいい、その足がわりにでも使おうかなぁ」

B「(歓喜)あ、有難うございます。あなたのご好意は一生忘れません。私はこれでやっと家内と別れられるのです。この機会を365年間、首と手足を長く伸ばしてずっとずっと待っていたのです。私は家内の前ではブタだったのです。家内という金づちの前では、私はずっとあわれなブタだったのです」

A「それで、奥さんはどこにいるのですかな?」

B「ここにいます。私が…家内なのです」

A「毎度、有難うございます」

A、Bの頭にポストをすっぽりとかぶせると、リヤカーに押し込む。B、まったく抵抗しない。

B「感謝します! 感謝します! 感謝します!」

A「ほぅ、ブタが三回鳴りましたかな」


A、また「ご家庭で、ご不要になった古新聞、古雑誌、ボロギレ…」と拡声器で声を出し、リヤカーを引きながら下手に退場。

                           ◇ 暗転 幕


白鷺になった少女     笛吹ピエロ

   

 ◎ これは携帯電話もメールもなかった頃のお話です。


 その日僕は博多から大阪へ帰る新幹線の車内にいました。たしか26歳、独身の頃だったと思います。九州の本家であった法事に、1人出席した帰りでした。進行方向に向かって左側の窓際の席に座って僕は外をながめていました。車内の乗客は少なかったようです。小倉から関門トンネルを抜けると雨が降り出していました。山陽新幹線はトンネルが多くてながめは決して良いものではありません。山や川、町並みの風景が見えたと思えばすぐにトンネルに入って車内は暗くなってしまいます。窓ガラスに映った自分の顔を何度も見るようなその繰り返しでした。


 広島、岡山を過ぎて町並みが少し広がった辺りだったでしょうか、いつの間にか雨はやんでいて、空は晴れていました。太陽の暖かい光が、雲のすき間からいく筋も地面に差し込んでいたのです。そしてその時、僕はまばゆい光に目をうばわれながらも空の景色に驚いたのでした。


 それは虹でした。とても美しい虹でした。空の高い雲のてっぺんから西から東へ、大きな弧を描いてその虹は華やかな色の帯を下ろしていたのです。その帯の下りているところにはお城、姫路城が見えてきました。白鷺が羽根を広げたように美しいお城として「白鷺城」とも呼ばれている姫路城の高い石垣と白い壁、なだらかな瓦の屋根が悠然と目の前にそびえ立っていたのです。虹の片方は姫路城の横、左側にぼんやりと下りていたのでした。


 そして僕はその美しい虹を見つけると、列車の窓に顔をつけて、一生懸命この素晴らしい風景を、自分の目に焼きつけようとしたのでした。それには理由がありました。約10年ほど前、目の前に見える姫路城の石段を、学生服を着て長髪でニキビ顔の高校2年生の自分が、1人何かを考えながら歩いていた記憶がよみがえっていたからだったのです。あの日、1人の少女のことを僕は思い出しながら歩いていたのでした。


 彼女の名前は順子さん。僕が高校1年生の時に知り合った女の子でした。学生雑誌のペンフレンドの欄、紹介のコーナーで知り合った同い年の女の子でした。順子さんは加古川市に住んでいて、市内の県立の高校に通っておられました。生まれは姫路で、ずっとそちらで暮らしていましたが、ご両親が加古川に家を建てられたのを機に、引越しされたそうです。2人姉妹の長女でした。


 彼女は頭のとてもいい女の子のようでした。大変しっかりした文字、文章を書く女の子でした。書かれる文字は流行の女の子らしい丸文字ではなくて、男っぽい達筆でした。書いてこられる手紙の内容もすごく真面目で純真なものばかりでした。趣味は若いのに古寺散策。「古い寺社仏閣を見てまわるのが好きです」と教えてくれました。また読書も趣味とのことでした。読まれるものはたいてい純文学みたいでした。川端康成の『古都』だとか『みずうみ』三島由紀夫の作品など読んでおられるそうでした。僕も自分の紹介欄に趣味として「読書」と書いたのですが、またその共通点が2人にあったので、知り合えたのですけれど、僕の「読書」とは富島健夫、ポルノ作家の小説一本槍でしたから、順子さんの「読書」とはとうてい比較にならないとあとで恥ずかしく思ったものです。


 順子さんはやはり才女のようで、「先日読んだ法医学の本が面白かったから読んでみて下さい」とすすめられたりされるのですが、僕はそちらの方はまったくチンプンカンプンなのですが、「そうですね読んでみましょう」なんて汗をかき分かったような返事を書いてしまう、おかしな文通交際でもありました。まるで優等生の女の子が話しかける難しい話に、落ちこぼれの僕が何んとか必死に口裏をあわせているみたいな、情けないところもあったようです。


 でも僕は自分で言うのも申し訳ないのですけれど、平均的にまだましな文字が書けたようなのです。手紙の内容や文章は下手でも文字でカバーしているところが、順子さんにはどうやら対等に思われたようです。「あなたの書かれる字はきれいですね」と何度もほめられたりしました。そんなこと全然ないのですけれど、才女と凡才の2人の文通は続いたのでした。それまで僕は何回か他の女の子と文通をしたことはありました。しかしすべて長くは続きませんでした。だけど僕は順子さんとならば、ずっとずっと続けられるような、そんな気持ちを次第に感じられるようになっていました。順子さんからの手紙やハガキは1週間に必ず1通は届くようになりました。僕は彼女からの返事を心待ちするようになったのです。


 順子さんは進学を希望されていました。それも一流大学を目指して勉強されているようでした。僕は私立の三流高校に通っていましたので、彼女がとてもうらやましく、またまぶしく思えたりもしたものです。はっきりした学部はまだ決めてないみたいでしたけれど、彼女は「父は進学のはっきりした目的はなくても、大学に進めば何か得ることもあるだろうと笑っています」何んて話してもくれました。彼女のご家族は大変あたたかそうな気がしました。


 彼女は僕に色々な話を聞かせてくれました。学校でのこと、家族のこと、将来のこと、友達とのこと、読んだ本のこと、そして人に言えない悩みなど、僕に率直に手紙の中で語りかけてくれました。彼女の熱心な生き方に、僕は圧倒されたりしました。考えさせられることばかりでした。そのうち僕は順子さんに恋心をいだくようにもなっていました。1度も会ったことのない順子さんに、淡い恋心を感じるようになったのでした。


 文通して1年が過ぎていたと思います。順子さんからの手紙や絵葉書などの便りはたくさんになっていました。そんなおり、どちらともなく「電話でお話しませんか?」ということになったのです。日にちと時間を決めて大阪の僕から加古川の順子さんの家に電話をかけることになったのでした。


「こんにちは…」から会話は始まったのでしょう。もう何年も前になってしまいましたから忘れてしまいました。だけど受話器の向こうから聞こえる順子さんの声は、とても生き生きした声でした。大変活発な女の子のように聞こえました。逆に僕は順子さんに「いい声してる…」とほめてもらったりして、照れてしまいました。初めてお互いの声を聞いたのですが、もう何年も前から知り合っているような気がしました。僕と順子さんは高校2年生。17才。時間を忘れて何んの遠慮もなく、まだ会ったことのない2人の思いを楽しく笑って語り合ったのでした。そして「いつか会いましょう」と約束したのでした。


 それから数ヶ月過ぎました。僕と順子さんとの文通は続いていました。そして彼女は僕を「好きな人」と遠まわしに伝えてくれるようにもなっていました。僕は何んだか順子さんとの将来を考えてしまいました。


 でもある日、僕は学校から帰ると残酷な知らせを聞くことになったのです。母が教えてくれました。「順子さん亡くなられたそうよ、お友達から電話あったわよ」僕は何のことだか理解できませんでした。嘘だろうと思いました。そんなこと絶対にないと思いました。でも本当だったのです。順子さんは交通事故で亡くなったのでした。雨の降る学校からの帰り道、カッパを着て自転車に乗った順子さんは、マイクロバスに追突され意識不明のまま息を引き取られたのでした。彼女のお友達が、僕とのことを知っていて親切に連絡してくれたのでした。


 連絡を受けた数日後、僕は1人電車に乗り加古川の町に下りていました。地図を広げて順子さんの家へと歩いたのです。道を間違えたりして、人に尋ねてやっと順子さんの家にたどり着きました。葬儀は終わっていて家には、お母さんと小学生の妹さんがおられました。お母さんは僕のことをご存知でした。「いつもしっかりした文字のお手紙を娘に下さいましたね」と言われました。見上げると祭壇には順子さんの遺影が飾ってありました。僕は初めて順子さんの姿を目にしたのです。


 僕は順子さんの遺影に手を合わせると写真をまざまざと見て、少し順子さんとは違った印象を受けました。そこには電話で話した、はつらつとした少女の面影はなく、はにかんで心細そうな1人の少女の姿が映っていたのです。目立たない、おとなしそうな女の子がこちらを見つめているだけなのでした。お母さんは僕に、順子さんのアルバムをたくさん見せてくれました。だけど、どの写真を見ても同じでした。小柄で首をかしげた順子さんには何んの印象も感じられなかったのです。そばで幼い妹さんが無邪気に遊んでいました。


 僕はお参りをすませるとお母さんに「今から姫路に行ってみます」と言いました。どうしてかというと、順子さんが生前「悲しいことや苦しいことがあったら、生まれた町、姫路の姫路城の天守閣に登ってみるの」と手紙によく書かれていたのを思い出したからです。お母さんは「そうですか」とすすめてくれました。やがて親族の人が来られたのですが、落ち着いておられたお母さんは糸が切れたように、大声で泣きくずれられました。僕は何んだかここにいることが申し訳なくなって、順子さんの遺影に深くお辞儀をすると家をあとにし、姫路の町へと向かったのでした。


 僕が姫路へ向かったすぐあと、お父さんが帰って来られたそうです。そして僕のことが心配になって車で姫路へ追いかけられたそうです。「探しましたが見つかりませんでした」と翌日、お父さんから家にごていねいな電話を頂きました。その翌年、お参りにまた加古川を訪ねたのですが、その時お父さんにお会いすることができて、直接お礼を申し上げることができました。


 姫路の駅に着くと、正面に姫路城が見えました。いくらかビルの前を歩くと間もなく城内に入りました。天守閣へ続く曲がりくねった石段はとても数が多かったようです。また天守閣の階段は急で、僕は「こんなに急な階段を順子さんは登っていたのだろうか?」と驚いてもしまいました。天守閣の上からながめる姫路の町は特別変わった表情をしてはいませんでした。いや、僕は順子さんが歩いてきたこの天守閣までの道を、同じように歩いてみて、順子さんを少しでも思い出そうとしたのですが、何も思い出せなかったようです。学生服を着て、長髪でニキビ顔の17歳の僕には、この時、順子さんのために流す涙が自分にないことを、悲しく思ってしまうだけだったのです。


 あれから10年あまり過ぎたその日、新幹線の窓から姫路城に架かる美しい虹を目の前に見て、僕は高校2年生の自分と順子さんのことを、ふたたび思い出しました。するとあの時、流れなかった涙がとめどもなく流れてきてしまうのでした。「どうして今になって…」と自分を責めてみるのですが、僕は列車の窓の外に広がる風景に、懐かしい思い出に、何んの弁解もできなかったのでした。


 僕が涙の向こうに見たもの、それは順子さんが育った姫路の町、そして姫路城に架かる美しい虹の上を、白鷺になった1人の少女が翼をひろげ、大空へと羽ばたいて飛んでいく、そんな風景だったのかもしれません。


「いつか会いましょう」 僕は順子さんとの約束が守れませんでした。  (おわり)


無頼剣     猫宮千之助


 陽炎が江戸の町の赤茶けた地面から緩やかに立ち昇る六ツ半時、神田お玉が池の千葉道場玄武館を後にした佐賀藩士牟田文之助高惇は、煮えたぎる己の激情を抑える事に苦労していた。嘉永六年九月、故郷佐賀を出立して三年余り、君命により武者修行の旅に出た鉄人二刀流、文之助は二十五になっていた。


「あの小童の腰抜け者んが」 罵って足下の小石を蹴り上げる文之助は、千葉道場の小天狗、周作の二男、栄次郎に腹を立てていたのである。文之助は、佐賀を出て中国街道を抜け、大坂から東海道、江戸、水戸、相馬、仙台、秋田、庄内、越後、会津と各藩の著名な道場を廻りその撃剣士達と手合わせをしていた。その間、二刀流の技は冴え渡り連戦連勝の負け知らずの今日であった。行く先々の土地では二刀流は珍異な流派として評判になり、いつも試合の道場は人垣で溢れていた。当時の娯楽は少なかったのである。そして文之助は再び江戸へ戻って来ていた。


「残りの旅は少ししか無かばい、何とか栄次郎と手合わせせねば、国許へ帰れんたい」試合の依頼は突然道場に押し掛けても門前払いされるだけであった。予め江戸藩邸から、各藩江戸留守居役を通じて試合の依頼状を出し、それが国許へ送られ許可が出れば藩の指南役が試合の日取りなどを文之助に伝えていたのである。依頼は宿とする江戸藩邸、そして江戸で師事する飯田町の斉藤弥九郎の斉藤道場練兵館からも再四、千葉道場へ催促状を送ってもらっている。だが返答はいつも「栄次郎多忙にて…」との一点張りであった。耐えかねた文之助は単身この日、千葉道場を訪ねてみた。しかし、予想通り門前払いを受けたのである。


 蹴り上げた小石は水茶屋の軒先で昼寝をしていた斑猫の背中に当たった。叩き起こされた斑猫は虫の居所が悪かったのか、文之助に飛び掛かかったと思うや、文之助の右頬の皮をザクッと三筋抉り取っていた。「ギャッ」と叫んで文之助はその斑猫を平手で打とうとしたが既に遅く、斑猫は素知らぬ顔で水茶屋の屋根まで跳び昇っている。


「鍋島の化け猫ばい」文之助は右頬を押さえた。血が滲んできている。すると水茶屋の奥から人の笑う声が聞こえるのであった。そちらに目をやると若い娘がこちらを見てクスクスと笑っているのである。文之助は罰が悪くなるとその場を離れようとした。だがその娘は駆け出して来て「奥でお手当てを」と声を掛けたのである。


 娘の名前は「お仙」と云い十六の春であった。水茶屋の置くに座って手当てを受ける文之助は少しお仙と話をした。少し小柄ではあるが、色は白く、絹の着物に櫛巻き髪、前垂れ姿は田舎侍の文之助には眩しく見えたものである。お仙が笑うと歯並びの良い小さな唇が妙に大人びて見えた。しかし用事ができたのだろうか、お仙は手当てを終えると「お大事に」と云い何処かに去った。その声がひばりの様に軽やかであった。文之助はもっとお仙と話がしたいと思った。


 文之助は藩邸へ戻ると部屋で大の字になり寝転がった。世話役の平岡善衛門は文之助の顔の傷を見て「どうされたのか」と聞いたが「町で転んだ」とだけ答えていたのである。文之助は、その夜寝付かれなかった。それは千葉栄次郎への怒りと町で出会ったお仙の面影が二重にも三重にも交錯して寝付かれなかったのである。時はもう暮れ四ツ半を過ぎていただろうか、文之助は枕元の大小の刀を腰に差すと、藩邸の外へ出て夜の江戸の町を歩いてみる事にした。春とは云えまだ夜は寒かった。藩邸を南に下って川沿いにどれ位歩いただろうか、文之助は川淵の柳の下に積んであった材木の端の陰に腰を下ろしたのである。月明かりが川面に映えて辺りは幾分明るかった。


 暫くそうしていた時である。数人の早い足音が横を駆け抜けて行ったと思うや、一時をおいて振り向いた材木問屋の中から耳をつんざく悲鳴が聞こえ、あっと云う間にに火の手が上がると戸口から千両箱を脇に抱えた黒装束の六人組が飛び出してきた。一人の手の抜いた刀の色が鈍いのは人を今斬ったのであろう。その六人は俊敏であり統制の取れた動きをしてた。文之助は腰を上げるとその六人の前に立ち塞がったのである。


「きさまら、盗ツ人か!」と大声で叫んだ。六人はその声に怯まなかった。沈着冷静な気配を感じていた。文之助は直感「こいつら、侍ばい」と思った。それも鋭い殺気を感じていたのである。「これは腹を括って掛からんといかんたい」と文之助は下腹に力を入れると、二刀を腰から静かに抜き、円極の構えを取った。臨戦態勢に高めたのである。六人は千両箱を脇に下ろすと、三人、三人と二手に別れ大柄な文之助の左右に取り囲み、刀を抜き中段に構えていた。


 六対一の対決、死闘は完全に文之助に不利である。しかし逃げる訳にもいかない。僅かな時間内に敵の弱みを探さねばならないのだ。文之助は、摺足で少し前に出て間合いを詰めてみた。すると正面の二人を除いて他の四人は少し後ずさりしたのに気づいたのであった。どうやら動じない正面の二人が腕が立つととっさに見極めたのであっる。文之助は戦の条理を知っている。合戦では大将の首を先に取った側が勝ちなのである。多人数と相対した時は、その中で一番腕の立つ者を先に斬れば良いのだ。そうすれば必ず他の者は動揺し勝気を失う筈なのである。


 文之助は凄まじい気合を上げ、正面の二人に真っ先に斬りかかった。二人も気合の声を上げると向かって来たのである。鍔迫り合い、打ち合いが何度あっただろうか、しかし文之助は強かった。あっという間に文之助は二人の賊の胴を斬り抜いたのである。返す刀で一人の面を割り、一人は首を刎ねていた。血飛沫が辺り一面に飛び散り、二人の胴体はドッと地面に倒れ、ピクピクト曲がった腕だけが微かに動いていた。残りの四人はやはりひるんだ様子であった。しかし体制を整えるとまた向かって来ていた。文之助は転がった首の無い屍骸の腹を剣先で抉ると、内臓を引っ掛け四人の頭上に投げ付けていた。こればかりは耐えられなかったのだろう。四人は蒼白になり嗚咽を堪えなくなって地面に吐く者も現れた。もう完全に残りの四人には、文之助に勝負を挑む気力は無くなってしまったのだ。


 救われるように、四人は暗がりの向こうから馬に乗った与力、町方の同心ら数十人が駆け付けるのを見つけた時、脇に置いた千両箱を取り上げる事も無く退散したのであった。与力らは修羅場と化した材木問屋の前で仁王立ちの文之助を見つけると茫然としたが、文之助の「佐賀の葉隠れ武士たい。盗ツ人二人この通り成敗した。聞きたか事あれば、藩邸に来んか!」と叫ぶのを聞くと、圧倒されたのか賊の去った方向へ追い掛けたのである。


 やがて材木問屋の屋根は火の手で崩れ落ちパチパチと舞い上がった火の粉は、川面の透き通った流れと風に揺られながら幾度となく跳ね、そして消えたのであった。文之助は血糊の付いた二刀を大きく上下に振ると赤い珠は火の粉に混じってやはり川面に散ったのであった。


魔法の万年筆     李 紅春

 

 もう日の暮れた寒空の夜の街を、1人の若者がただぼんやりと歩いておりました。若者は作家志望の貧しい青年でした。「素晴らしい小説、物語を書きたい」と若者はずっと考えていました。しかしそのような小説を書くことはとても難しかったのです。若者は気分転換に薄汚れた下宿を飛び出すと、夜の街をあてもなくただ歩いていたのでした。


 ふと路地裏の角、街灯の下まで来ると、若者は足を止めました。老婆が1人道端に座っているのです。老婆は物売りでした。道にムシロを敷き、古着や小物、古書などを並べて売っていたのです。頭にはスッポリと深い帽子を被っておりました。若者は何だかこの老婆と無性に話がしたくなって、「お婆さん」と声をかけました。顔を上げた老婆は、驚くこともなく微笑みました。日に焼けた笑顔が大変おだやかに見えたものです。若者はその老婆の笑顔に自分のすさんだ心が洗われたような気がしました。そして若者は老婆のわきに座ると、一生懸命自分の夢を語ったのでした。老婆は若者の「小説家になりたい。すべての人たちが感動する物語を書きたい」という熱心な話を、じっといつまでも微笑んで聞いておりました。


 時間がいくらか過ぎた頃、老婆はふところから赤い小箱を取り出しました。その箱を開けると中には、目のくらむばかりに輝く、金の万年筆が入っていたのでした。胴もキャップもすべて金でした。そして若者に「この万年筆はどんなに使っても、インクのなくならない万年筆です。これをあなたにあげましょう」と老婆は言ったのでした。若者はその金の万年筆を不思議そうに受け取りました。それを見て顔を上げると、もはや老婆の姿はどこにもありませんでした。若者はあ然として立ち尽くしていたのです。握っている金の万年筆だけがキラキラと輝いておりました。


 それから数十年過ぎました。若者は流行作家になっていました。若者が金の万年筆で書いた小説の数々はすべてベストセラーになり、たくさんの愛読者ができました。また作品は文学だけにとどまらず、映画化、舞台化、ドラマ化されたりして、若者の名声は世の中にとどろいていたのです。若者の著書は飛ぶように売れ続けました。若者は大金持ちになりました。高級住宅地に大きな邸宅を建て、美しい女性を妻にし、子供にも恵まれました。すべての幸福を若者はつかんだのでした。何も不安などなくなったのです。


 ところがある日、若者は心配事があるのにこと気づきました。それは若者はまだ30代後半であったのにもかかわらず、頭髪が薄くなり、白髪も目立ってきていたのでした。手や顔のシワをもどんどん増えていったのです。それも日に日にいきおいがついたように、若者は老人化していったのでした。こんな現象を周りの人たちはまったく気づいていない様子でした。


 若者はますます年を取ってしまいました。そしてついに「まもなく自分の心臓が止まるだろう」と悟ったのでした。そう思った若者は思い出したように曲がった腰に力を入れると、杖をつき夜の街へと出かけました。どこからか午前零時の時報が聞こえたようです。若者は路地裏の角、街灯の下まで来ると足を止めました。そこには老婆が座って商いをしておりました。老婆は若者が昔出会った老婆でした。


 若者、いや老人はポケットから金の万年筆を取り出すと「私にはもう寿命がないようです、だからこの万年筆を返しに来ました」と老婆に呟いたのでした。老婆は変わらない笑顔で懐かしげに老人を見上げました。「私はこの万年筆のおかげで自分の夢をかなえることができました。ありがとう」と老人が万年筆を老婆に返すと、老婆はその金の万年筆の両端を持ち、ポキンと折ったのです。折れた万年筆の中には何も入っていませんでした。「インクは入っていなかったのですか!」老人は驚きました。すると老婆は「何も入ってなかったのですよ、あなたが書いた物語のすべては、あなたの指先から出た、あなたの自身の血で書かれたものだったのです。何でも命がけで一生懸命に努力すれば、必ず夢はかなうということでしょうか」とニッコり笑って答えたのでした。


 答えたとたん、もう老婆の姿はどこにもありませんでした。街灯の下には折れた2つの万年筆が転がっているだけだったのです。老人はその万年筆を拾い上げると、手の平にのせてみました。金の万年筆は、老人の手の平の中に吸い込まれるように、消えていったのでした。  (終) 


戯曲 触覚人間     神楽坂ポウ


◇ 登場人物   A お金持ちの老紳士

         B 貧乏な青年


◇ 1幕 第1景

 舞台中央に白いベンチが1つある。ベンチ下手よりに街灯が一基立っていて、ぼんやりと周囲を照らしている。上手頭上に月。舞台全体は薄暗く、ベンチの白い色だけが目立っている。 音楽『G線上のアリア』流れ、静かに消える。上手よりB登場。疲れた様子でベンチに勢い良く腰かける。


B「あ~くたびれた。今日1日歩き回ってこれだけかよ」

B、透明ビニールに入った、わずかなアルミ缶を足で蹴りながら、数を数えている。

A、下手から現れる。ベンチのBの前を通り過ぎるが、振り返りアルミ缶に目をやる。

A「ああ、君、ちょっと困るんだけどねぇ。こんな所で用をたしてもらったらね」

B、何のことか分からない。

B「用って何のことなのさ?」

A「決まっているじゃない。君はここで、この場所で、その空き缶に用をたそうとしているのでしょ。僕が年寄りなので君は僕の目をあなどっているに違いない、こう見えても僕は1人で家の壁掛け時計の大きなゼンマイは回せるのだよ。30回くらい回したってへっちゃらさ、グルグル回せば僕の脳髄のポンプはまったく誤差なく的確に、正確に足元の靴を前に後ろにと動かしてくれるのだよ」


A、自分の両足を激しく前後に動かして、元気であることを誇示する。


B「お、お爺さん、元気なのは分かるからさあ。そんなに埃を立てないでよ。俺は気管が悪いからさあ。埃やチリに弱いんだ。産まれつきねえ、花粉症もあるのかなあ。時々鼻がムズムズするし、ゴホンゴホンと咳き込むこともあるんだ」

A「それは重病だ。市の保健所に行って、根こそぎお腹の中のバイ菌を消毒してもらわないと…、君、君の将来はないよ。完全絶後に完璧に、君のお腹の中には20歳の子供が宿っているに違いないのだよ」

B「はあ? 子供って俺は男だから、子供は産めないよ」

A「そんなこと誰が決めたのかね?」

B「決めたかって…当たり前じゃない。男が子供を産めるはずはないさ。それに20歳の子供って何んなのさ。俺は20歳だぜ、男であって20歳の人間が、何んで20歳の子供を産むことができるのさ」

A「君の質問は馬鹿げている。僕は見たんだよ。20歳の男でも、20歳の女の子をちゃんと立派に産んだのを、僕はこの目で見たんだ。初々しいピチピチした女の子が浣腸をグチュッと潰したように、男の肛門から勢い良く出た時の感動を僕は一生涯忘れないよ。その産まれた子の名前は、運子だった。僕が名づけたのさ」


B、何となく迷惑そうな感じ。Aに係わり合いにならない方がいいと思い始めている。Aのことは気にせず、早くアルミ缶の数を確かめて、そそくさにその場を立ち去ろうと考えている。 A、おもむろにBから袋を奪い取るとアルミ缶を地面にバラまく。B怒る。


B「こら! くそジジイッ。何するズラ!」

A「何するズラって、こんな面ですたい。こがんか僕の顔を君は侮辱するのか!」

B「あ、あのなあ、(冷汗)侮辱なんかしてないってば…。俺はさあ、1日歩いてさあ、やっとこれだけ集めてきたんだぜ」

A「ふん、こんなガラクタ集めてどうするの。何んの価値もない。汚いし、酒臭い臭いはするし、ハエだってたかってるじゃないの」

B「俺にとったら宝なんだよう!」

A「ふん、これだけでグラムいくらで買い取ってくれるわけ? 僕は金持ちだ、何んならこの空き缶、みんな僕が買い取ってあげよう。」財布を取り出す。

B「誰が売るって?」

A「はあ?」

B「…俺は、俺は、このアルミ缶集めて…鑑賞するのが趣味なのさ。グラムいくらとか関係ないの。この缶の1つ1つには、飲んだ誰かの唇の跡がついているのさ。そりゃあ野郎も飲んでいるかもしれないけど、中には若い女の子の唇の跡、口紅の跡何んてついてるのもあるのさ。ピュアな乙女色なんてゾクゾクしてしまう。こうやって空き缶をしっかり両手に持って、シミジミと美女の唇の跡を探し、想像するなんて、も~たまらないんだよ」

A「君は、変態だったのか?」

B「そんなにほめないでよ。僕は、純真な人間なのです。誰かと争うことを嫌い。競い合うことを否定し、ただ、ただ、つつましやかに人間の捨てたゴミ、空き缶を拾い集めて、唇の跡を機械的に鑑賞するという、それだけのささやかな人生を送っているのです。何んの恥ずかしい思いなどありますか(涙声)」

A「べつにほめたのではないが…でも、君はどうやら素晴らしい人のようだ。僕は君に大変、完全、完璧に感動した。僕は君とともにこれから同じ趣味を持ちともに明るく生きることにしよう」


AとB、地面にひざまずき、転がっているアルミ缶を選別し、唇の跡を探す。

                            ◇ 暗転 幕


カオルの青春     笛吹ピエロ


 カオルは18歳、僕の2人の娘の次女です。通信制の高校へ通う現役の女子高校生であります。そして、毎日夜はラウンジのバーで、ひと晩1万2千円の日当で働くコンパニオンのお姉さんでもあります。


 彼女は今、県外のマンションで1人暮らしをしています。通信制の高校は月に2、3回登校日がありますので、カオルはその日の朝だけは午前3時に仕事を終えると、始発の特急列車に乗り、こちらの高校へ向かうのです。片道2時間ほどかかるのでしょうか、高校の授業が終わればまた特急列車で県外へと戻るのです。県外で仕事をしているのは、日当がいいからだそうです。通信制の高校は4年制です。カオルは3年生ですが、大検の試験に挑戦していて、残りあと1科目合格すれば、来春、大学を受験できるそうです。カオルはゆくゆくは医療関係の仕事をしたいので、それらの資格を取れる大学を目指しているのです。自分で働いて入学金や授業料は支払っていくと申しております。自分で自活してやっていくそうです。彼女は親である僕や妻を、もう必要としていないのでしょう。


 「薫」という名前は僕がつけました。川端康成の小説『伊豆の踊子』に登場するヒロインの少女の名前をもらったのです。僕は『伊豆の踊子』の素朴で純真な恋物語に昔から憧れを抱いていましたので、ヒロインの少女薫のように明るく活発で、自立心のある女の子になってくれたらという願いをこめて名づけたのでした。この名前にしたからではないのでしょうが、カオルの成長は大変波乱万丈なものになってしまいました。


 まず、カオルの産まれた時なのですが、彼女が妻のお腹の中に入っていた時、妻が流産しかかって入院し、僕は産婦人科の医師からある日の夜、電話をもらっていました。「お気の毒ですが…超音波検査で動いてないのですよ」僕は「また、ダメなのか」と思いました。そして長女は1人っ子になるのだろうと思ったのです。妻は最初の子供を流産で亡くしていました。3つ違いの長女が産まれた時も、妻は流産しかかったり、中毒症が出たり、早産しかかったりして大変でした。だから3度目の妊娠も順調にはいかないだろうと考えていたのです。医師にダメと告げられても、僕はそんなにショックではありませんでした。悲しいというより「あきらめないといけない」そんな気持ちが先にあったみたいな気がします。


 でも再検査の結果、別の医師が検査したところ「元気に動いています」となりました。僕はとても嬉しく思いました。1度あきらめたわが子が元気に産まれてくるのです。地の底から天国にのぼるような気持ちでした。こうして産まれてきた子供がカオルだったのです。


 カオルはその後、体格も他の子供たちと比べて大柄になり元気に育っていきました。幼稚園の頃ピアノを習い始めました。小学校に入学するとブラスバンド部に入りアコーディオンを担当してコンクールなどに参加していました。音楽が好きだったのでしょうか。でもあきっぽい性格だったせいか長続きはしなかったようです。「色んなことをやってみたい」という好奇心のほうが強かったのかもしれません。カオルが小学4年生の時、事情があって僕と妻は離婚しました。僕は長女と暮らし、妻はカオルとアパートを近くに借り暮らしたのです。時々アパートを訪ねた長女は「カオルちゃん、さびしいって泣いてたよ」と僕に言いました。妻はその頃、呉服屋の営業員の仕事をし始めていて、帰りが遅かったのです。カオルは1人で、飼っているハムスターと一緒に、お腹を減らしていつ帰るか分からない母親を、ずっと待ち続けていたのでした。


 幸い約1年後、僕と妻は復縁し、また親子4人で暮らせるようになりました。この1年間を僕は子供たちに「すまない」と反省しています。カオルに申し訳ないことをしたと思っているのです。子供たちには何の罪はないのです。悪いのは僕たち夫婦なのです。


 カオルについて学校から悪い知らせがくるようになったのは、カオルが中学2年生になった頃でした。カオルが学校の帰りに神社の境内で、年上の男の子たちとタバコを吸っていたのを誰かが見つけて、学校に連絡したのでした。カオルは中学校を卒業しても高校へ行かなかったり、中退して定職につかず、暴走族に入って遊んでいる先輩たちといつの間にか仲良くなっていたのでした。僕はカオルを注意しました。また殴ったりもしました。でも、その男の子たちや仲間はカオルにとって親しいらしく、悪く言えばそれだけ反発するだけでした。


 やがてカオルは中学校に行かず、家出を繰り返すようになります。警察に補導されたことも何度かありました。暴走族に入り荒れた生活をするようになったのでした。片親の友達の家を転々としたり、ラブホテルに寝泊りしていたのでした。僕は仕事が終わった後、心当たりの場所を見つけて夜の街を探しまわったことも何回もあります。心配でたまりませんでした。学校にひんぱんに連絡を入れ、警察に捜索願を出したりしました。呼び出しを受けた妻は疲れた顔をして出かけたりしていました。


 いつでしたかカオルの居場所が分かった時がありました。そこは暴走族の溜まり場で、どうやらカオルはもう1人の女の子、リョーコと一緒にいるらしいことが分かったのでした。妻は警察に即座に連絡し、警察官が3人来ました。僕たちはパトカーを先導にその溜まり場へ向かったのでした。


 カオルとリョーコは無事に連れ戻すことができました。僕は暴走族の男3人に、こわい顔をしてつめよったり、ボスの胸ぐらをつかんで表に引きづり出しました。でもどうやらこの時は、カオルたちが頼んでこの溜まり場に泊まらせてもらっていたようだったので、僕は男たちを殴りませんでした。カオルのほほを右手で、ついでにリョーコのほほを左手でぶん殴ると連れ戻したのでした。3人の警察官はただ僕をあ然とした表情で見ているだけでした。妻が僕のいきおいを止めたのでした。


 後で考えると、何だか自分が『無法松の一生』の松五郎になったような気がしました。僕は普段は優しい男なのですが、やはり九州男児の勇ましい血が流れているようでした。でも、自分が坂東妻三郎か三船敏郎であると考えてしまうと、いたって危険だったのかもしれません。カオルは後で「警官がいたから、あの人たちはジッとしてた…普通はすごいのだから」と警告しています。調書を取るために出向いた警察署にはリョーコの母親が来ました。僕が「いきおいで娘さんを殴りました」と謝ったら、ゆるしてくれました。リョーコの母親は再婚で、リョーコは新しい父親とうまくいってないそうです。


 こんなことがあったせいか、カオルは僕を嫌いになったようです。僕が無鉄砲なことをしたので「カオルの親父はこわい」となり、友だちの間で「カオルとは遊ばない方がいい」何んて話になってしまったのです。前のように友だちが遊んでくれなくなってしまったそうです。たいそう怒っておりました。


 カオルは中学3年生になっても学校には行きませんでした。勝気で好奇心が強く、明るい性格なので友だちが多く、とても友だちを作ることが上手でした。その友だちの家を転々としていたのです。その友だちはわりと境遇の悪い子たちが多かったみたいです。たまに家に帰って来ても、着替えを取りに帰って来ただけで5分もしないうちにまた出て行きました。止めることはできませんでした。中学3年生になって学校に行ったのは19日だけです。この頃でしょうか、カオルは15なのに18歳といつわってバーで働いていたのです。お化粧がとてもうまくなっていました。でも、これも児童法とかに引っかかり、そのバーはお気の毒にも警察に摘発されてしまいました。しかし、カオルは15歳ですでに自立し始めていたのです。


 ろくに中学校に行かなかったのに卒業はできました。当然高校へは進学しないだろうと思っていたのですが、通信制の高校があることをすすめるとあっさり入学しました。長続きしない性格なのでどうかと思ったのですが、働きながらちゃんと授業は受けているようです。レポートを提出しないと進級できないので、仕事の合間に一生懸命勉強しています。また友だちと旅行に行ったり、好きな映画を観に行ったりと青春を大いに楽しんでいるようです。彼氏もいるそうです。驚くことに灘高、京大出のお医者さんだそうです。パーティで知り合ったとか。2人はいずれ結婚するみたいです。その彼氏が家にあいさつに来られました。好青年でした。大学へ行くと言ったり、結婚すると言ったり、カオルにはまだまだやりたいことがたくさんあるようです。


 自分の子供が「学校に行かない」と言いだした時、どうしたものでしょう? 親はやはり困るでしょう。「せめて義務教育だけは…せめて高校だけは…せめて卒業するまでは」と、もういたたまれない気持ちになり心配になるのが本当だと思います。だけど、僕はカオルの成長を見ていると何が正解で、何が間違いなのか分からなくなってしまうのでした。子供たちが「イヤ」と口に出した時、「みんながそうしているのだから、そうしなさい」では何やら説得力がない気がしたのです。こんなふうに思ってしまうので、子供たちは言うことを聞かなくなってしまうのでしょうか?


 子供を育てていくことは本当に力がいります。父親としても女の子ゆえに、よけい心配してしまうみたいです。夜も心配で眠れない夜もあります。そんな僕の気持ちも分からず、カオルは、またどこか遠くのバーで働くのかもしれません。演歌の世界じゃないのですけれど、もしもどなたか呑みに行かれたバーで、左の2の腕に大きなホクロのある女の子を見かけましたら、カオルじゃないかと確かめて、本人でありましたようなら「お父さんが心配している」と伝えてはもらえないでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。


 だらしがない父親からの、心からのお願いです。  おわり


涙の川     猫宮千之助


 若者は川でよく釣りをした。その川は大きく、そして流れは早かった。

 

いつの頃であろうか、若者は川の向こうで1人の若い女が、いつも決まった時間に洗濯に来ているのに気づいたのである。女は美しい女であった。遠くからだが若者はいつの間にかその女に恋をした。


 若者は毎日、川に釣りに来るようになった。だが釣りなどには少しも熱中せずに、女の洗濯するしぐさに見とれていたのである。女の白くか細い腕はいとおしいほど魅力的であった。女もそのうち若者に気づくと、2人は川をはさんで無言の挨拶をかわすようになった。


 季節は静かに過ぎていった。若者は川に来て、女に会えない時は悲しんだ。そして女に会い話をしたいと、切実に願ったのである。

 

 ある日、若者は決心した。ろくに泳ぎも知らないのに、この大きな川を泳いで渡り、女のそばへ行こうと考えたのである。


 夏の暑い日。若者は女が川岸に現れる時間をみはからって泳ぎだした。川の流れは若者の体をひどく打ちのめした。しかし若者は「女に会いたい」のいっしんで精一杯、力の限り泳いだのである。

 若者がもう少しで川岸へたどり着くところまで泳いできた時、向こうから女が現れた。「女に会えるのだ」と思うと若者の胸ははずんだ。女はまだ男に気づかなかった。


 そして若者は見た。女のうしろの方で、別の若い男が女に向かって手を振るのを。

女は喜び、その男のもとへと走り去った。若者はぼう然とし、そして泣いていた。傷ついた若者は、もとの川岸に戻ろうとしたが力つき、川の流れにのまれて死んだ。

 

人々はこの川をいつからか「涙川」と名づけて、若者の死をあわれんだのである。  終


長い髪の精女(しょうじょ)     李 紅春(り こうしゅん)


 もうかなり日の長くなって来ていた頃だと思います。私はその日の朝、早番の仕事でした。午前5時から始まる仕事だったのです。勤め先の紡績工場は家から車で約15分ほどの所にあって、工場は国道沿いにありました。私はその国道まで出るとまっすぐにその方向目指して車を走らせておりました。いつもの通勤のコースであった訳です。しかし、私は何だかその日、別の道を通りたくなって国道ではなく裏道を通る事にしたのでした。毎日毎日同じ道を通勤する事ほど退屈なものはありません。時間は充分にありましたし、気分転換に良いだろうと思いそうしたのです。裏道は電車の線路に沿って少し狭い道でした。でも信号がなくて、若干クネクネしてはいるのですが、そんなに苦になる道ではありませんでした。私は以前から何度かこの裏道を通っておりましたから、勝手は分かっております。それに早朝です、車が渋滞するなど考えられませんでしたので、私は鼻歌など口にして少々眠たい目を擦りながら、ハンドルを握っていたのでした。


 家を出て、最寄りの駅に出ます。それから線路沿いに走ると団地が見えてきます。この団地は昔からあります。でもいつも何だか妙にひっそりとしていて、人の気配を感じる事がないのです。私は何度もこの団地の前を通ったりするのですが、まず人を見かけたことがありませんでした。話によると「老人の多い団地」だそうです。そう云えば、いつも前を通り過ぎるとお線香の匂いが漂って来るみたいでした。


 団地を過ぎると暴力団の事務所がありました。そんなに繁盛している様子はなく、この地域独特の町内会に1軒はある組事務所の1つでしかない様でした。でも何年か前にこの事務所の窓に鉄砲の弾が打ち込まれた事がありました。弾は窓ガラスを打ち抜いて、事務所の高い所にあった神棚様のお札を打ち抜いていたそうです。


 そしてしばらくすると、墓地が見えて来ます。敷地は普通なのですが、やたらに墓石が多いのに驚きます。見ていると「墓石が草の様にはえている」と云った感じなのです。また、いつも気になるのですが、ギッシリ並んだ墓石の真ん中に、墓地の中心に電話ボックスが1つあるのでした。両方を墓石に取り囲まれた公衆電話があったのでした。私はこの墓地を通る時、この場に不釣合いな電話ボックスを見て、「誰がここで電話をかけるのだろう?」と考えてしまうのでした。あたかもこの墓地に眠っている人々の霊が、毎晩先を争ってどこかに電話をかけていると想像しても、おかしくない様な気がしたのです。この電話ボックスはお参りに来られた人々が使うものでなく、霊のために設置された霊専用電話であると考えるのは、この墓地を見た人ならば皆そう思われるのではないでしょうか。


 道はやがて線路を1度渡ります。そして川を越え、人家が途絶えた所からいち面の畑が見えてきます。工場まではもう1度線路、踏切を越えればあとはすぐそこになります。もうすぐ工場に到着するのです。


 その時でした。あたりいち面畑ばかりの1本道の左側を誰かが歩いているのに気づいたのでした。向こうにむかって歩いている人影があったのでした。その人影は突然私の目に入って来たと云う感じでした。畑ばかりの広い所に出たのですから、それも1本道です。この人影を遠くから気づく筈だと思ったのですが、まったく急に現れた様に思いました。その人影は長い髪の女性でした。青っぽいガウンを着ていました。手は前に出ていて何かを持って歩いているみたいでした。歩き方から考えると、若い女性の様でした。時間はまだ午前5時前です。こんなに早い時間に、それも若い女の子が1人畑の道を歩いている。私は不思議に思い「どんな顔をした子なのだろう?」と思い、車で彼女を追い越してすぐにバックミラーを覗いて確かめてみたのでした。


 するとバックミラーには何も映っていなかったのでした。フェンダーミラーにも何も映っていなかったのでした。周りは畑ばかりで姿を隠せる場所はない筈でした。私は車を慌てて止めると、車から降り振り返って辺りを確かめましたが、再び彼女を見つけることはできなかったのでした。間違いなく彼女は生きていました。歩いていたのです。しかし、こつ然と私の目の前から消えてしまったのでした。私は狐につままれる思いでいたが、工場に着くと仕事がすぐに始まりましたので、そのうちその朝のことは忘れてしまいました。「彼女は一体どこに行ったのだろう」いくら考えても私には分からなかったのです。


 それから幾日か過ぎた日、1人の同僚が工場の休憩室の椅子に座って物思いにふけっているのに気づいたのです。私は何だか気になってどうしたのかと聞いてみました。すると同僚は、こんな話をしたのです。今日の早番の朝、自分が工場に出勤すると事務所の前の柳の下に、長い髪の女の子が立っているのを見つけた。どうしてこんな所にと思い、どんな子なのだろうと考えて確かめようとしたら、あっという間にどこかにいなくなってしまっていた。いくら考えても分からない。と云うものでした。私はその話を聞くと「どんな服を着ていた?」と尋ねてみました。すると同僚は「青っぽいガウン」と答えたのでした。私は脅す様に「幽霊じゃなかったの?」と聞くと、同僚は大笑いして「生きていたよ」と答えるだけだったのでした。


 それから数十年過ぎた頃、私は何気なく地図を開いておりました。その地図は詳細な地図で開いていたページはあの裏道の辺りでした。広い畑があって1本道があり踏切がある所でした。そして分かったのです。私があの長い髪の女の子を見た場所の、すぐ目と鼻の先に火葬場と墓地があった事に気づいたのでした。


「幽霊を見る人は心の素直な人だけ」とも言われます。私は自分が素直であるのかどうかは分かりません。でもあの高笑いした同僚が、素直である事だけは分かるつもりでございます。長い髪の精女はどこに行ったのでしょう。  完


朝霧公園団地は妖怪バナナ     神楽坂ポウ


 牧江田教授が、A市朝霧町の朝霧公園団地に到着したのは、霧の深い夜でした。午前零時を過ぎているというのに、団地のまわりには人があふれ、何やら大声で騒いでいる様子でした。投光機の光で日中のように明るく照らし出されたその奥に、パトカーと機動隊の輸送車が何台も停まって、サイレンの灯りが赤々と輝いています。


「教授、お待ちしていました」教授に声をかけたのは、A市桑方警察署の香呂木署長でした。中年、大柄で恰幅がよく、黒ぶちのメガネの下の長いヒゲの先がクルリと輪をかいています。真ん丸い顔と、飛び出たお腹はまるでダルマさんと同じように見えました。


 牧江田教授は初老の紳士です。背はスラリと高く、白髪で目はブルー。スーツはダークグレイのキルガー。靴は黒のエドワード・グリーン。シルクのアトキソンズのネクタイを締め、帽子はジェームズ・ロックのフェルトのソフトを斜めに被っていました。彫りの深い顔立ちの教授は、日本人とイギリス人の混血でもあったのです。長い足は父親譲りだったのでしょう。三つ揃いのスーツの襟には、英国真理学会の蛇の目の金バッチが光っていました。


「今日も現れているのですね」

「そうなんですよ。今日で10日目ですよ。一体全体何者なのでしょうかねぇ、あれは」


「あれ」というのは巨大なバナナでした。長さ約30m、直径約5mの黄色いバナナが団地中央のE棟の壁にもたれかかるように立っているのです。どうしてこんな巨大バナナが現れたのか誰にも分かりませんでした。ただ、分かっているのは、これで10日目ということだけです。毎晩午前零時ごろ突然現れて、日の昇る明け方にはこつ然とどこかへ姿をくらましたのでした。


 しかし大きなバナナです。こんな大きなバナナがこの世にあるとは考えられません。突然日本のA市に出現した巨大バナナのニュースは全世界に報道されました。アメリカのABCやロシアのRIR。中国のCCTV。フランスのF2。ドイツの2DF…といった国営、公共、商業放送を問わず、新聞、ラジオ等のメディアはいっせいに奇妙なバナナの特番を組んだのです。朝霧公園団地は警官、機動隊員、報道関係者、団地住民、野次馬でごった返したのでした。その人出を当てこんで、団地の道端には屋台がたくさん並んだりして、お祭りのような騒ぎにもなったのでした。そのうち人々の関心はエスカレートしていきました。「あのバナナの味はいかに?」などとなって、警備の警官を無視してバナナに近づこうとする人も出てきました。


「何せ大きいですからね。急に倒れたりしたら危険なので、住民が近づかないように見張ってはいるのですけど…しかし教授、何か分かったそうですね」

「はいはい、お待たせしました署長、この巨大バナナの正体をつきとめましたよ」


どうやら、牧江田教授は9日間の調査の結果を香呂木署長に報告に来たようでした。牧江田教授は食物学の権威でありました。また移動物理学の創始者でもありました。この巨大バナナが朝霧公園団地に現れてから、教授は研究班を作り独自の調査をおこなっていたのです。その結果がどうやら分かったらしいのです。


「署長、大変なことになりましたよ」

「大変なこととは一体どういうことでしょうか?」

「9日間のバナナは全部サンプルで、今日のバナナは本物ということです」

「サンプル?本物?よく分かりませんけれど」

「私は調査によりこのバナナの内部から強烈な電波が出ているのをキャッチしました。受信地は惑星Rです」


惑星Rの宇宙人たち

「地球に送ったものは無事届いたようだな」

「はい。9日間サンプル…幻惑映像を送って人類の素行を確かめました。人類は破壊的な生物ですから、実体を見たとたん攻撃して破壊する恐れもあったのですが、バナナの模倣の形態が項をそうしたようです」

「地球を征服するには、まず人類を飼いならしたほうがいい。食べ物を与えて人類を餌づけしなければならないのだ。サンプルを送った結果、どうやら人類はあのバナナを食料として認めたようだ。では地球のいたるところにバナナを送ることにしよう。そして、地球上の食べ物はすべて、我々の力で消去するのだ。地球で唯一の食べ物はあのバナナ、それだけになるのだ」


 巨大バナナが朝霧公園団地に現れてから10日目の夜。多くの住民、報道陣、警官、機動隊員の前で、黄色いバナナの皮が静かにむけました。驚きの歓声の中で、人々はそのバナナから現れた白い実に『緊急援助物資』の大きな文字を見つけたのでした。 了 


いたたまれない日々     笛吹ピエロ


 暖かい日の午後、僕は家の縁側に座って、庭の植木を見ていました。そんなに大きくない植木が4本ばかり立っています。1本は松と分かるのですが、他の木が何であるのかは分かりません。家は亡くなった父が建てましたから、庭に植えた木の名前は父が知っているのです。僕は父にたずねたことはありませんでした。母に聞いても、よく分からないようです。 僕は名前の分からないその3本の木を見つめて「ずっと分からないままなのだろうか?」と考えたりします。座っている足をバタバタ子供のようにゆらして「はて、はて」と思ったりするのです。本屋さんで植物図鑑を買ってきて調べてみようか」と真面目に考えたりもします。でも何だかめんどくさいので、思うだけでその気にはならないようです。 僕は年を取ってしまいました。もうそんなに若くはありません。この先何年生きられるのかは分かりません。でもこうして縁側に座って、ただぼんやりしていると、何だか時間が止まっているような気分になってしまいます。縁側には白菜がいくつか干してあります。洗濯物が風にゆれています。僕のそばでは飼っている犬がひなたぼっこしています。家の屋根の上や電線ではスズメやハトが鳴いています。そして家の真正面には納骨堂があります。そこにはたくさんの桜の木が植えてあるのです。春になると、とてもきれいな花をいっぱい咲かせるのです。家の縁側は毎年、花見の特等席になるのです。もうすぐその春をむかえようとしているのです。僕はその桜の木を見ていると、何だか「早く春がこないかなぁ」と思ってしまいました。その時です。門柱の扉が開いて、自転車を押して父が帰ってきました。僕は「お父さん」と声をかけました。父は笑って「ああ…来ていたのか」と答えてくれました。暖かい日の午後、僕はそんな父のまぼろしを見たのでした。 おわり


親父の浮気     猫宮千之助 

    

 死んだ親父が夢の中に出てきた。親父が夢の中に出て来るのは、時々ある。大抵、棺の中に入れてやったお気に入りの茶色の背広を着て出てくる。好きだった鳥打帽を被り現れることもある。親父が夢の中に現れるのは、私がいささか気が滅入っている時期に多いようだ。体調が芳しくなく、家族と諍いなどあって、将来を悲観した時に親父はどうも現れてくれるようだ。 気がつくとすっと目の前に親父は立っている。首を傾げて、相変わらず優しい顔をしてこちらを見ている。声を掛けてみるが、親父はいつも何も答えてはくれない。ただ微笑んで私を見ているだけだ。そしてすぐにいなくなってしまう。


 以前、最高に落ち込んでいた時、やはり親父は現れた。気がつくと親父は私を背負ってくれていたのである。親父の背中は広くてとても暖かかった。私は自分が子供に戻っているのが分かった。止めどもなく涙がぼろぼろとこぼれて目の前がすっかり霞んでしまった。親父の背中に流れ落ちた涙の雫は、沢山の美しい花となり咲き、私は親父の背中のお花畑に顔を埋めて、暫く幸福を感じた。振り向いた親父は、やはり優しい顔をしていた。


 ある晩、また親父が夢の中に出てきた。家の居間に座っていた。驚く事に親父は若い女を連れて来ていた。二人並んで座っている。女は髪の短い美人で、妙に肩幅のある女であった。親父は照れたような顔をして、私に「この女と一緒になる」と告げた。私はぶったまげた。「お袋はどうするの?」と聞くと親父は「それが問題だ」と深刻な顔になった。私は取り合えず親父の好きなコーヒーを三つ作ってテーブルの上に置いた。いつの間にかカップのコーヒーは全て飲み干されていた。


 若い女は恐縮した表情でうつむいている。私は女に声を掛けてみた。「働いているのか?」と聞いてみた。すると女は一枚のチラシを取り出して見せた。そこには『一泊五万円』と書いてある。最初は何のチラシか理解できなかったが、どうやら女は体を売って稼いでいる女であると分かった。しかし『一泊五万円』とは高いと思いながら、親父を見たら最高に嬉しそうな顔をしていた。


 六十九歳の頭も禿げて、残りの髪も白髪のこの親父がこんなに照れた顔をしたのを生前私は見たことがなかった。何となくお袋が許してくれないだろうかと気を使ってしまった。二人はいつの間にかその場からいなくなっていた。


 あの世で親父は若い女とどんな風に過ごしているのだろう。新婚生活をどのように暮らしているのだろうか。天国にもどうやらいいことはあるらしい。   (終)