「有名になれれば…」と思う理由
家の前の桜は散り始めて薄緑色の葉が目立ってきました。
前回書いたことの追伸です。年内に次女が結婚するらしいとのこと。結婚する彼氏は灘高から京都大学、大学院を卒業した医学博士で医師です。ものすごく頭のいい青年なのでしょう。通信制の高校しか出ていない次女と「…何んでまた?」とずっと信じられないでいますが、それはそれとして、当人通しが納得したうえでのことですから、父親がとやかく言えることではないと了解しています。
ただ、彼氏のご家庭が事業をされていて裕福なご家庭らしいので、我が家とすれば非常に複雑な気持ちになってしまうようです。「父親が障害者で無職」だと、やはり、先々、嫁いだ次女が肩身の狭い思いをするのではないかと気がかりになるのです。彼氏はご長男さんでもあるからです。
なので、そんな事情で、父親として少しでも有名になりたいと思う訳でして、灘高から京大ならば…「せめて、芸術家として超一流、日本一くらい」にならないことには肩を並べられない気がするです。
…変な例えではありますが、お恥ずかしい話ではありますが、そういう、父親として娘を思う切実な願いからの発想なのです。だから「…へぇ、あんたは有名になりたいんだ。俺はそんな風には思わないね」と平気で答える友人に腹が立って仕方がありません。同じ父親として首を傾げるだけです。自分のことしか考えていない人間に、人々を感動させるような作品は作れる筈がないのです。…この辺は、私は本当に友人に恵まれていないですね。やる気がなかったり、人を見下しているバカ野郎ばかりです。
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