生まれた家
私が生まれた粗末な家です。私は昭和30年10月に、福岡県大牟田市神田町で長男として生まれました。平屋の家は借家で、1人暮らしの「柳田もき」さんという、お婆さんの家の一室に、新婚の父母は間借りで住んでいました。だから、私は遊んでくれる、もき婆さんが実の祖母であるとずっと思っていました。借家の真ん前の細い道を隔てて、向こう側は熊本県荒尾市倉掛でした。倉掛には父の実家があって、私達家族は食事や風呂をもらいに行きました。借家で4つ違いの弟が生まれました。私も弟も産婆さんに取り上げられました。写真は私が3歳くらい。母は26歳くらいだと思います。後ろ側は川が流れています。
私は大牟田市の幼稚園へ通っていました。弟が生まれてすぐに、私達は大牟田の三井化学に勤めていた父の転勤で名古屋へ引っ越しました。それから、中学2年の時に大阪にまた引っ越しをして、父は定年退職を迎えると熊本に母と帰郷します。私は妻と娘2人と一緒に、妻の実家のある熊本県玉名市に引っ越ししました。
生まれた町に帰って来て、はや25年。それでも、町の様子は変わってしまいました。大牟田に2つあったデパートは潰れ、活気のあった炭鉱の閉山により人口は減りました。現在のJR荒尾駅の駅前は人はまばらで、ひっそりとしていて、にぎわいのある商店街さえありません。駅構内の売店も閉店しました。今後の発展は?…見込みなしでしょうね。
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