文学との出会い

私は子供の頃に本はさほど読みませんでした。高校生になって学生月刊誌の「高一時代、高一コース」を読むようになり、連載されている富島健夫の青春小説のファンになりました。それで、連載が書籍化された集英社のコバルトブックを買って読んでいました。


大阪芸術大学を受験しようと決めた時、全学科のうち、学費が一番安かったのが文芸学科でした。しかし、私の文学とは、その青春小説の類でしたから、純文学などとは全く方向違いの気がしました。ところが、高校3年生の時に東京の劇団、文化座のお芝居にバイトで出演したことがきっかけで、演劇にも興味を持っていましたので「青春小説と演劇」の2つだけを頼りに受験にチャレンジしたのでした。本当に心細かったです。なので、試験問題の作文の「外国文学か小説の散文について書きなさい」といった問題は、外国文学は全然読んだことはありませんでしたし、片方の散文について、つじつまを合わせて書くしかなかったのでした。散文の意味さえ、よく分からなかったくらいでした。


面接の時は、3人の面接官のうち、演劇を教えていた清水芳子先生が、文化座出演のことについて興味を持って頂いて、わりと話はスラスラと出来たみたいでした。…合格通知が届いた時、学力試験は自信がなくて、作文も自信がなかったので「たぶん…自分が大阪芸術大学に合格出来たのは、清水先生のおかげ」と納得したのでした。…そういう意味では、私は演劇の道へ進むのが、ご恩返しと思えたのですが、すぐに、様子を見に行った演劇部への入部に、どうも積極的になれなくて、演劇の道は閉ざしてしまったのでした。しかし、卒論は演劇の台本。登場人物が全員ロシア人の戯曲を書いて「優」をもらいました。


画像は新潮選書の「この百年の小説」です。日本文学史の源 高根先生のテキストでした。このテキストで学んだことで、私は純文学に憧れ小説家を目指そうと考えたのでした。…そちらの、ご恩はまだお返し出来ないでいます。頑張って実現出来るようにしたいです。


笛吹ピエロの創作世界

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