会社勤め見解
いつの頃かは忘れましたが、夜に街に遊びに行って、街角の酔ったサラリーマンの集団が「〇〇部長!…〇〇課長!」と大きな声で騒いでいました。…でも、私は、その部長や課長さんとは全く関係のない人間であって、彼らとは住んでいる世界の違いを感じるのでした。少し歩くと、また「〇〇課長!…〇〇係長!」世の中には自分達の世界だけで泳いでいる飼い犬、いや? 飼い魚の多いこと。
芸大卒業後、芸術を捨ててサラリーマンになった友人から突然、原稿用紙90枚の自伝小説が届きました。「読んでくれ」だったと思います。彼は芸大時代は小説家志望で、なかなか面白い推理小説を書いていました。…しかし読んでみると、阪神大震災体験の話は良かったのですが、学生の頃、目立たなくてパッとしなかった彼が、サラリーマンになりトントン拍子に出世して行った話は、独善的出世話は、全く面白くありませんでした。単に、醜いあひるの子が白鳥になったことを自慢しているだけのよう。うんざり。…彼の本質は白鳥ではなかった筈。芸術家だった筈なのに?
42歳の時に、勤めていた会社が不景気になり解雇。社長から、その知らせを聞いた時、特別に悔しさや未練はなくて「仕事のない田舎で、6年間働かせてもらって助かった」と納得しただけでした。次のステップに移ることのみに集中しました。何せ、当時は悪いことが重なり、妻と離婚して借家で中学生の長女と二人暮らし。生きて行くことが精一杯でした。
それから運送会社でトラックの乗務員の仕事。ここでは慣れた頃に、給与体系が基本給なしの歩合給に変更。私は個人商店主並み。部長や課長クラスの飼い魚ではなくて一気に大鯛の社長になったのでした。具体的にはトラックに乗りながら「明日、仕事ありませんか?」と得意先に営業の電話をしていました。
こんな具合で、どうやら私は会社員には不向きだった気がします。また、会社員をしていた頃も、会社という組織ベッタリにはなれなかったし「その場所で満足」といった気持ちにもなれなかったです。その傾向がはっきりしたのは、一流の自動車会社の工場でロボット同様に働いた時期「…自分は使い捨ての人間にはなりたくない、歯車じゃない」と確信した時だったと思います。…どちらにしろ、自分の仕事が選べることに感謝でしょう。全然、仕事のない国だってある訳ですからなぁ。
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