思い違い有名
今日は熊本は曇りで小雨が降っています。天気予報だと1日雨とか。
最近、久し振りにもらった友達のハガキに私のことについて「もしもあいつが有名になったら、俺は昔、あいつと一緒にやっていたんだなぁ…と思うのかもしれない」と書いていました。彼は芸術から完全に身を引いていました。理由は分かりません。
でも、私は彼の言い分が理解出来ませんでした。「もしも…?」って、私はずっと芸術活動をしていて、有名になることの難しさを、大変さを実感しているからでした。正直な話、歳も60ですし「…生存中は無理かもしれない」が本音です。だから今は、没後の為に創作をしているようなもの。なので「もしも…?」はないと自覚してやっている感じです。
彼は有名になることを、わりと安易に考えている様子。自分がその為の努力をしていないので、そんな想像が出来るのだと思いました。 また、他に「自分には有名になりたいという意欲がさほどない」と語る友達がいたり「プロになっても仕方がない」といった友達がいるのです。
しかし、どうしてなのでしょう?…有名になりたいという意欲がないのは一応、有名になってからのことではないのでしょうか? プロになっても仕方がないのは一応、プロになってからのことではないのでしょうか? 有名になっていないのに、プロにさえなっていないのに、分かったような意識。私はそんなことであれば、彼らは絶対に一生有名にはなれないし、プロにだってなれない気がします。彼らにいい才能があるだけに勿体ないです。
だから私は「絶対に何が何でも有名になれる!!」と信念を持ってやりたいです。そう思って努力しても「なかなか」なので、芸術の道は本当に険しいです。ただ、自分自身で大成を願って一生懸命努力することが実現可能な純粋な手段。分かったような意識、冷めた意識からは何ら進歩はないし上手にはなれないと思えます。
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